(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

知性がないと言う前に、自分に知性を

果たしてそれは知性と言えるのかなあ。

10のポイントを抜き出してみる。

その1.統一感があるかないか
その2.言葉遣いを易しくするか難しくするか
その3.伝わり方に気を配っているかどうか
その4.細部をどう扱うか
その5.外来語をどう扱うか
その6.スラングをどう扱うか
その7.ビジュアル的な美しさがあるかないか
その8.強度があるかないか
その9.身体性があるかないか
その10.情熱があるかないか

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080923/1222145340

「そんなもの知性じゃない」とは言わない。知性の一部ではあると思う。ただ、あまりにも外見的すぎる気がする。見た目に偏っている気がする。この10ポイントに引っかかるものにも十分に知性的なものだってある。そういうものを見過ごす可能性があるのでは。
特に言葉の統一感・言葉遣いというのは表現力の問題で、その3の伝わり方を含め、自分の思うことに如何にして広めるかという能力に関わることなんだけれど、じゃあ、この部分が欠けていたからといって、語り手の知性が欠けていると言えるか。違うと思う。表現力が欠けているだけで、知性とは本質的な関わりあいがない。
ビジュアル的な美しさも同様で、見た目の良さは確かに大事だし、芸術性というのはまさに知性のひとつと言えると思うけども、だからといってビジュアル的な美しさに欠けるものが知性に欠けるとは言えない。見た目は悪くても、キラリと光るケースはままあることだし、逆にビジュアル的な美しさが皆無であることで、本質的な知性の凄みを感じさせるケースすらあるのでは。
と考えていくと、オレは知性とはこういう外見上のポイントではなくて、如何にこういうポイントにとらわれないかという点にあると思うのだ。この10ポイントに引っかからず、本質を見極める目を持てるかどうか。こういう外見上の要素には確かに影響される。統一感がある方がいい。言葉遣いが易しい方がいいし、ビジュアル的に美しい方がいい。しかしそれは知性を構成する要素の一部分であって全体じゃない。一部に関わらず全体を見ることができるか。一部を見て全体の評価を決めてやしないか。いわば「木を見て森を見ず」の話だと思うんだなあ。
そういう意味で、この指摘はシンプルにして妙。

自分が知性を持つように日頃心がける

テキストに知性があるかないかを見分ける1つのポイント - finalventの日記

知性を見分けるには、自分が知性を持つこと。それに尽きる。外見にとらわれて知性を見落とし、知性に気付かない方が怖い気がしますな。……もっとも、オレは知性に無縁な人間なんですが。わしゃバカでいい。でも、バカなヤツの話から、それぞれに役立つ話を勝手に得る人のが本当の知性なような気はするんだけど。「知性がない」と言う前に、知性を読み取る力が必要な気がしますね。自戒をこめて。