(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

満足すればいいじゃない

お金だけじゃないよ。

満足度という尺度もでかいと思うな。少なくてもオレはそうですね。
またアクセス数とか、はてなブックマークがついた数とかだけでもないね。それならオレはここまでブログを続けてない。

ここで書きましたけど、うちがブックマークつくようになったのは最近のことでしてね。アクセス数が一気に増えたのも最近。

はてなダイアリーでブログを開設したのが2004年5月のこと。で、元々学生時代からサイトをやってたせいもあり、アクセス数はかなりの数字を初期から頂戴しておりました。

アクセス解析で振り返るタケルンバ卿日記の歴史 - (旧姓)タケルンバ卿日記

とは書きましたけど、それこそ1桁時代もありましてね。2桁時代も長かった。まして、ブログをはじめる前のサイト時代なんて、アクセスカウンタを回してるのは自分だけみたいな時期ありましてね。日に2とか3しか回らない。オレとアイツと、ヤツが……みたいに大体特定できる時代。そういうときもありましたよ。当たり前のことだけど。誰のサイトやブログであっても、最初はその存在を知られていないわけでね。
でも、不思議と楽しかったな。そういう頃も。やりたいことできたから。遊び場を見つけた感覚というのか。それが最初はうれしかったね。もちろんリアクションがあればうれしいけど、なくてもいい。表現することで、自分の願望は半ば果たせているから。出力した時点で、自分のしたいことは終わっているのですよ。
何というか、出力以外はボーナスなんだな。賞与。アクセスが増えた。はてブが着いた。「良かった」と言ってもらえる。どれもうれしい。ありがたい。でも、そのためにやっているわけじゃないんだ。欲しいし、うれしいし、動機になっているし、意欲や元気の源にはなってる。でも、そこだけじゃないんだな。そこだけじゃ続かない。それ以外の要素が、継続を支えている気がするんですよ。毎月の給与は他にあるんですよ。定期収入が別にあって、賞与は別にある。そういう位置づけなんだなあ。
自分は単純に文章を書くのが楽しい。そしてブログを書くのが楽しい。で、せっかく読んでいただく公開のものを作るなら、自分がより楽しめるものを作りたい。それだけなんですよ。それだけ。だから、書き終わった時点で使命はおしまい。後は知らん。どうせなら楽しんで欲しいし、笑って欲しいし、喜んでいただきたいのは山々だけども、あんまりそこにこだわらない。なるべくたくさんボーナスが欲しいという欲のようなものだと思ってる。
欲よりは日常を大切にしたいね。書きたいものを書き、やりたいことをやる。そういう単純な喜び。自分はそういう対象がたまたま文章であり、ブログであったということ。
「文章を書いて、ブログにうpする」
そういうシンプルな喜びでいいんじゃないかな。あんまり結果を追い求めてもしょうがないんじゃないかな。結果は出ないときもある。そして第一に結果は他人が決める。それよりは、自分の中でコントロールできる満足感の方がいいと思うんだ。出力するだけで得られるカタルシス。こっちの方がより確実で、手にしやすい価値観だと思うぞ。
そしてこういうのはお金にかえられないからね。お金じゃできない。実現できない。

こうやって殆ど毎日、ブログの更新作業に(1時〜2時間)の時間を割いているけれど、実はブログって、相当なアルファブロガーじゃない限り殆どが無給に近い作業なんです。

http://blog.livedoor.jp/tkfire85/archives/55185012.html

無給だけど、見返りはある。満足度という見返り。それでいいんじゃない? オレは満足。できればお金も欲しいけど、そのためにやってるわけじゃないし。お金のためにやっているのならば、今の活動はあまりにも割が合わない。費用対効果が合わない。でも、それ以外の価値観が満たされているから、続けられるわけですよ。それでいいんじゃないかねえ。
何かを外に求めるとつらい。人に見返りを求めるときつい。それならば、出力する時点で満足してしまう方がいい。自己満足の方がラクだ。もっとラクにブログを続けてみれば、いいんでないかい?