(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

本日のYouTube 歌姫使用前使用後

今回はマライア・キャリー。最近はすっかりお袋体型であり、ポッチャリを通り越して、ややもすると「単なるデカい人」になりつつあるが、昔はちゃんとかわいかったのである。かわいいだけじゃなくて歌もうまかったので衝撃的だったわけだ。

「Without You」は非常に有名なナンバーであり、色々な人がカバーしているのだけれど、個人的にはマライアバージョンが一番と思っております。この素晴らしい高音の伸び、サビの圧倒的存在感。すんばらしいのだ。
ちなみにこちらはイル・ディーヴォバージョン。……濃いいぜ。

オレの利益はオレのもの、オレのミスはお前のもの

このニュース、どういう受け止め方してます? 三菱東京UFJ銀行の投資信託販売に絡み、金融庁から業務改善命令が出たそうな。

オレはこういうニュースがまったく理解できないんだよね。特にこの部分。

 同庁は、誤発注など銀行側のミスで損失が発生した場合、損失補填(ほてん)が可能であることを顧客にきちんと説明しなかったことに加え、謝罪を繰り返し補填をせずに無理やり承服させた顧客がいる一方で、結果として、補填した顧客がいるなど、公平性に欠ける対応を問題視している。

無理矢理だろうが何だろうが、よくもまあ承服するよね。相手のミスで損したのにそれを一方的に受け入れるという。お人好しというか何というか。
でも一方で同じようなケースで祭りになっているわけじゃないですか。年金。あれだって国というか、社会保険庁のミスで損しているのを今まで受け入れていた人が多かったわけでしょ。同じケースで方やマスコミが煽りに煽り、一方こういうベタ記事程度ですむというのは、正直言って広告出稿の有無の差としか思えませんな。話としては三菱東京もなかなか悪質ですよ。グッドウィルのことをとやかく言えないくらいにはさ。
しかし何はともあれ承服する客も悪いのだ。「ごねるのはカッチョ悪い」という風潮があるのはわかるし、事を荒立てたくない気持ちも理解できるけど、そもそもこのケースは客が悪くないのだ。だからごねるうちに入らんのである。「お前のミスで損したんだから、お前が責任とれ」という当然の話。「注文した通りに原状復帰させてください。当然費用はそっち持ち」ってだけなのよ。これの何が悪い!
ただ同情する部分があるとすれば、世の中には何が何だかわからず投資信託を買い、何が何だかわからぬままに損失負担をしていた人がいるということ。いいようにされてた人がいるんだろうね。わからんなら投資には手を出さない方がいいと思うんだけどなあ。理解できんものには手を出さないのが賢明ですよ。そういう人を利用する人間は山ほどいるわけでさあ。自分の理解の範囲内で行動しませう。

ブッシュってキリスト教右派じゃなかったっけ

いやはや、相変わらずブッシュ絶好調。法王に「サー」と呼び掛けたそうな。

世界広しといえども、法王に「サー」と言えるのは福原愛だけである(但し、卓球の試合中限定)。以上、タケルンバ卿がバチカンになり替わり決定す。

自由と責任

タケルンバ自由主義者である」と常日頃から言っているけども、どうも勘違いしている人がいるので、ここで書いときたいことがある。それは「自由主義者=無責任」じゃねえってこと。自由と責任は対であるように、自由主義者には自由を謳歌するための責任があるんですよ、奥さん。

自由主義=自由責任主義

これ。こういうことですよ。自由主義って実際は自由責任主義なんですよ。最低限の責任があるから自由なんです。責任を果たしている人間だけ「ほっといてくれ」と言えるのですよ。
自由主義者は思想・信条・主義・主張・宗教その他一切に関して自由でいたいのです。あらゆることはオレの勝手であり、ほっといてくれと。ただ、自分がそうありたい以上は、他人に対してもその自由を守ってやらねばならない。他人の干渉を受けたくないのだから、他人に干渉しちゃならんのです。前にも書きましたが「他人の自由を否定するものは、自ら自由を受けるに値しない」わけです。決して自分勝手じゃないのよ。

自由主義≠経済至上主義

ここも勘違いされるところ。自由がいいからって経済市場主義とか拝金主義とかいうわけじゃないです。もちろんお金があった方がいいし、経済的に恵まれている方がいいに決まってますが、オレのような自由主義者はお金を自由であるためのツール、道具としてとらえているわけですよ。お金があれば好きなものを食べることができる。お金があれば働かなくてもいい。こういう「選択肢の豊かさ=経済的豊かさ=自由」であるので、お金は必要だと割り切りながらも、あくまで手段であると思っておるのです。
結局自由主義の根本って「人それぞれだよね」というベッタベタな諦めなんですよ。「価値観ってみんな違うよね」と。で、みんな違うことを認めた上で、お互いの価値観に立ち入らないようにしようと。そういうことなんです。「それぞれの正しさの追求」なんです。
だから豊かさも人それぞれ違う。晴耕雨読が豊かさであれば、パーティー三昧・贅沢三昧も豊かさ。どっちが正しいという話ではなくて、人それぞれの中に答えがある。但し、お金がないことで本当に望む豊かさを追求することができない現実がある。それがための経済的豊かさの追求なわけですよ。お金がすべてじゃねえのです。
ついでに言うとオレは苗字とか家族観とか民族主義とか国家観とかにまったく興味がありません。それがどうだろうとオレはオレだし、オレを表す記号みたいなものに過ぎませんからねえ。結婚して奥さんの苗字になってもOKですし、どっかの国の人と結婚して国籍が変わっても困らんのはそういうこと。もちろんそういう価値観を大事にする人をクサす気持ちはありませんけどね。「そういう考え方もありますよね」でかわすのみ。自分と違う価値観を認めることができんから争いになる。右から左へ受け流せ!