(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

はてブって便利だね

はてなブックマークって便利ですよね。愛用してます。といっても、実は使い出したのは意外と遅くて、2007年10月から。まだ半年なんですよ。はてなダイアリーはかれこれ5年使ってるのに。ま、「ブックマークはブラウザのほうがあるからいいや」という思い込みで手を出さなかっただけなんだけどね。システムがよくわかんないし。「ソーシャルブックマーク」だなんて横文字使われてもわからんしさ。
ただ、弊ブログのアクセスログを見ても、はてなブックマーク経由で来ていた人が結構多かったし、じわじわ増えていた。周りでもやってる人が増えてきた。となると好奇心だけは人一倍旺盛なので、手を出してしまうタケルンバですよ。恐る恐るやってみる。で、使ってみるとこりゃいいわいなと。なかなか便利なものじゃないかと。でもって現在に至るわけですよ。こんな単純な話です。

「お気に入り」が便利すぎる

一番驚いたのはこれですよ。「お気に入り」ですよ。こりゃいい。あるユーザーをお気に入り登録すると、お気に入りしたユーザーがブックマークした記事が一覧で見れるわけですが、これが便利だなあと。いや、便利すぎて困ったもんだなあと思ったくらい。ある意味で「産業スパイ」みたいなもんだよ、これ。
だって、人が面白いと思ったものを、堂々と盗み読みできるような機能だから。人がブックマークするってことは、何かしら引っかかるものがあったからブックマークするわけでしょ。その引っかかった記事を一覧で見れる。
自分と感覚が似ている人をお気に入り登録すれば、自分の労力を人任せにできるわけだし、自分が苦手な分野があれば、それを得意としている人をお気に入りにして、情報収集することもできる。人様のブックマーク活動の結果だけいただけるわけですからねえ。こんな便利なものはない。
お気に入り登録させていただいているユーザーさんには本当感謝ですよ。ありがたいことです。おかげさまでいい記事にたどり着くことができます。

選ぶからこそお気に入り

但し、便利だからといってどいつもこいつも登録するとかえって不便。お気に入りがお気に入りにならない。
「お気に入り」って言葉は、それ以外に多数の「非お気に入り」があるから成立するわけですよ。厳選された、抽出されたものがお気に入り。なので、どいつもこいつもお気に入りにしちゃ意味がないのですよ。それこそ最終的にはGoogleみたいに、ネット上にあるデータ全部見れますか? ってな話になるわけでねえ。そんな時間なんてあるはずない。
選ぶからお気に入り。ここ重要。

記事を選べる人をお気に入りに

で、どんな記事をお気に入りユーザーにするかですが、個人的には次の基準です。

自分とブックマーク先が被る人

はてなブックマークをしばらくしていると、「どうもこの人とは同じ記事をよくブックマークしてるなあ」と思うことがあります。そう思ったらお気に入りに登録してます。ある意味、自分がもう1人増えるようなもんなんでね。そうすりゃブックマーク漏れの可能性も少なくなるし。勝手に分身の術。

ブログが面白い人

よく見るブログの管理人さんはなるべく登録してます。ブログが面白いということは、そのネタ集めの段階で面白いはずだと。であれば、ブックマークも面白いはずだ、という勝手な思い込みです。
でも結構当たっていると思いますよ。ブログの方向性と、ブックマークの方向性って似てますから。変わった人は、変わった記事をブックマークしてます。「一体どこから見つけたんだ」と思うことしばしば。こっちはその人が宝を探し当てた苦労もなく、お気に入りでクリックするだけ。気楽なもんです。

ブックマークしすぎない人

何でもかんでもブックマークされても困るんですよ。こっちはその人独特のセンスをあてにしているわけなんで。抽出力というか、選択力をあてこんでいるんですよ。「面倒くさいんで、みんなが選んでくれたのを後で見るわ」と。そんな感じ。
なので、ばばばばーっとブックマークされていてもそれはそれで困る。程よい量をブックマークしてくれる人がありがたい。……わがままですね、オレ。
ま、お気に入り機能は本当に便利。是非使って下さい。これだけでもはてなブックマークは使う価値があると思うよ。

タグは使わない

ここからは自分がブックマークするときの使い方についてですが、オレはタグは使いません。その理由は、完全主義者なので、分類が難しいのが出るとイライラするから。短気なのでダメ。耐えられない。
かといって際限なくタグを増やすというのも性格上ダメ。タグを増やすと、昔、ブックマークした記事が該当するケースが出てくる。完全主義者としてはそれをさかのぼって直したいが、そんなの面倒くさい。となると完全主義者としては落ち着かなくなる。ならば最初から分類に手をつけないのが精神衛生上良いのですよ。やらないならやらないでいいわけだし。
それにタグがなくても検索できるしね。問題ねえっす。

コメントはつける

なるべくコメントはつけます。つける癖をつけてます。

考える癖をつける

バカなので、意識しないとボケーッと見てるだけなのですよ。口を開けて見てる。それだとあまりにも残念なので、ただ見ないという意識付けにコメントを使ってます。考えてものを見るようになるのでね。こうでもしねえとバカすぎるので。

初見の感情を記録する

そしてそのとき思ったことを記録しておきたいんです。初見のときの感情を。それを後々見返して思うことがあるかもしれないし。ま、日記のようなもんだよね。そのとき自分がどう思ったかどうかの記録集として。

記憶をたどる手がかりとして

コメントをつけておくと、後でその記事を思い出しやすくなります。コメントの内容って結構覚えてますからね。「あんなこと書いたなあ」とか。で、そのコメントを思い出すと、どの記事へのコメントかも続けて思い出せる。記憶のタグとしてコメントが機能するんですよ。
またコメントの内容が検索で引っかかるので、タグの代用物になります。タグがなくても検索で引っかけやすい。

自分の使いやすいように使う

ま、最終的にはこれだわね。使いやすいように使う。それだけでごんすよ。やりたいように、やりやすいようにと。
便利にするもしないも、楽しく使うも使わないも、すべては自分にかかってますからねえ。使い方次第。こういうものに正しい使い方なんかないしね。あるのは自分に合った使い方だけ。オレの使い方だって、人によっては邪道かもしれんし。ただ、オレはこの使い方で満足しているわけで、それでいいんだよね。もちろん、もっといい使い方があれば、それにスイッチするけど。そういうもんでしょ。
なわけで、やりたいようにやってください。適当にどうぞ。面倒なら使うのやめればいいしね。所詮ネットにある数あるサービスのひとつに過ぎないわけで。こだわる必要はまったくなし。
ま、適当に気楽に使ってみてください。慣れると面白いよ。