(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

「たかが」でダメなら他はもっとダメ

話題になってるこの話。

これさ、捨てられたことは確かに痛いんだけど、もっと痛いことがあるよな。

生涯の伴侶に選んだ人が、価値観の違いを認められない人だった

こっちの方が痛いと思うんだよ。モノを捨てられた痛みよりも。物理的に埋め合わせようがない、ずっと残る傷になる気がする。
俺は結婚したことないから、確証はないけどさ、結婚するって「この人なら長く付き合える」という判断があるからできるものだと思っているわけ。あるいは「長く一緒にいないとまずい」という状況が生まれたからするものだなあと。出来婚なんかまさにそうだけどさ。
で、夫婦だなんだ言ったって、元々は他人だし、バラバラに生活していた人間。何もかもが合うわけがない。価値観なんかも違って当たり前だと思うわけね。趣味とかもそうだし、生活における優先順位とか。ただ、結婚するということは「この人なら大丈夫」という何らかの確信があるからできるもんだと思うわけよ。「ほぼ同じ」とか「違っても大丈夫」とか「違いが判明しても、何とかなるべ」とか。
この件はそうしたものが崩壊したケースだと思うわけね。結婚を後押しした伴侶に対する信頼感が崩壊したケース。大げさかもしれないけど、そういうことだと思うんだ。

「たかがゲームじゃん」

こういう意見は多いと思うんだよ。たかがゲーム。なるほどそれはその通り。
しかしね、だからこういう考え方ができると思うんだ。

ゲームですら解決できない夫婦に未来はあるの?

「たかが」と言うのなら、その「たかが」すらクリアできない夫婦ってなんだろう。こう思ってしまうわけね。
結婚して、夫婦として一緒に生活すればいろいろなことがある。

新郎となる私は、新婦となるあなたを妻とし、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います。

だから結婚式ではこういう誓約をする。いろんなことがあることを理解したうえで、それを乗り越えるという約束をする。
それをだ。ゲーム如き解決できんでどうすんねんと思うわけね。たかがゲームを一方的な手段でしか解決できない関係性に未来はないよなあと。もっと難しい選択を迫られたとき、どうしようもないでしょ。この程度の話を解決できない夫婦に、問題解決能力があると思えないなあ。
話し合いの余地もあったし、もっとうまい解決なんていくらでもあった。しかしそれを全部とらないで、ショートカットで売っ払う。いきなり結論を出されては、今後に暗雲漂いまくりだわね。話し合いの余地なしの人だったってことがわかってしまったわけで。しかし「そういう人じゃない」ということを前提に結婚してしまったわけで。その失望たるや余りあるねえ。ううむ。
こういう話ってモノの価値の話じゃねえんだよ。で、またモノに何が投影されていようといいの。お互いに解決しようとしたかという点が大事だと思うわけ。夫婦で解決しようとしたかが大事なわけ。生涯を過ごすと決めた関係なら、尚更そういうもんじゃないかなあ。信頼を寄せていた伴侶に、結婚式の日に裏切られたという新郎には同情申し上げるね。……本当にあった話ならばだけどさ。