(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

良い薬ほど使いづらく

ネガティブなことを書くのって嫌いなんだよね。別に思わないわけでもないし、うらみのひとつやふたつ俺にもあるし、好きがある以上は嫌いだってある。ネガティブな感情は山のように発生してる。但し、それを表に出そうと思わないってだけ。書くことはできるけど、あえて書かない。書きたくない。書こうとしない。
ただ、実はネガティブなことを書くことに効果はあるんじゃないかなと思ってる。人の悪口やうらみつらみ、呪詛を唱えるとスッキリする。荒れた気持ちが落ち着く効果だってあるだろうし、落ち込んでたときに立ち直るきっかけになったり、ストレスがたまっているときに、それを清算することはできる。愚痴に一定の効果はある。
しかし、だからこそネガティブなことを書くのって嫌いなんですよ。「効果がない」からやりたくないんじゃなくて、むしろ「効果がある」からやりたくない。時に「効果がありすぎる」からやりたくない。
ネガティブなことを表に出すとスッキリする。スッキリするのは内側にたまったものを出したから。しかし原因を解決したわけでも何でもないので、また内側にたまる。たまればまた吐き出さざるをえない。幸いなことに解決方法はわかっている。愚痴ればいい。そしてそれは簡単にできる。手軽だしローコスト。
となると、この過程で繰りかえし繰り返しネガティブなことを書いていくようになってしまう気がするんですよ。「ネガティブなことを書く」って行為が効果的だからこそ、かえって常習性が高くなる。効くし、簡単だし、やろうと思えばすぐできるからこそ手を出す。効果がないからではなく、効果があるから、そして効果がありすぎるからこそ常習してしまう。「スッキリした」という満足感を求めて手を出してしまうし、自分でもスッキリしたという実感があるから行動に移す。
結局のところ応急処置で、対症療法なんだよね。心の部屋に障子があって、それが破れている。隙間風がビュービュー吹いていて寒い。風をひいてしまいそう。そういうときに、とりあえずそこに紙を貼っておく。そうすると隙間風が入ってこなくなる。部屋が温まる。風をひかずにすむ。
これには効果がある。これ以上寒い思いをしなくていいし、とにもかくにも隙間風が入ってこなくなる。風邪ひかずに済むわけで、とりあえず紙貼っとけという対応が結構正解だったりする。
しかしこれを繰り返しても根本的な解決にならないってところがつらい。とりあえず紙を貼ったけども、他の場所が壊れれば、また応急処置が必要になる。処置した場所が壊れることもあるだろうし。繰り返し繰り返し対応しなくてはならない。またその繰り返しの中で効果が少なくなっていくことも考えられる。どこかで対症療法から原因療法に変えなきゃいけない。原因を治さないといけない。
なので、自分の場合、簡単な方法に流されやすい弱い人間だからこそ、ネガティブなものを書きにくい。書けばラクになると思うけど、ラクになるからこそ頼ってしまう気がする。常習してしまう気がする。最初は「たまに」が、やがて「ちょくちょく」になり、「よく」になり、「頻繁に」となる。そういう過程がイメージできてしまうのでやらない。イメージできるってことは、起こりえるってことだから。
また、記録に残るのもどうかなあと。

こんなこと書いたばかりでアレだけども、過去のネガティブな記事を見たら、現在の自分までネガティブになると思うのよね。それを避けたい。ネガティブの再生産は避けたいんですよ。欲しいのは「継続の報酬」であって、「継続の罰金」じゃないから。過去のネガティブ性に縛られてしまうのって、現在の自分にとってもったいないと思うんだよね。
なので、ネガティブなことって、なるべく残らないように発散するのがいいのかなあと思ったり。一回こっきりの手法で。継続性のない方法。なるべく面倒な方がいい。コストが高い方がいい。なかなかできない方法だとしておいた方が、いろいろ工夫するんじゃないかと思う。根本的な解決に思いを馳せる余地が大きいはず。常日頃手が届くからやってしまう。なるべく遠くに遠くに。カギを締めて、なるべく手間がかかるようにしておく。
効果がある薬こそ、使いづらいものであった方がいいと思う。いざというときのために。いざというとき効果を発揮させるために。