(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

相撲観によってガッツポーズの善悪が決まる

結局は相撲をどうとらえるかなんだよな。

「相撲とは」の定義の問題。そして前提が違えば結論が異なるというだけの話。
例えば、相撲をプロスポーツとして考えれば、ガッツポーズに異論なんて話はナンセンス。プロとして「みせる」ことで収益を得ている。その「みせる」は「見せる」のみならず、「観せる」や「魅せる」も含むわけで、その「みせ方」の中にガッツポーズがあっても全然不思議じゃない。実際、様になってたじゃん。盛り上がってたじゃん。ならばよしと。そういう考え方になってもなんもおかしくない。
一方で伝統だ神事だ国技だ武道だって視点に立てば、ガッツポーズは禁忌としか言いようがない。一般的な武道では、勝負をする場所(相撲では土俵)でガッツポーズのような勝利を喜ぶ所作をしちゃならんことになってる。勝利を取り消されることもあるくらい。である以上は朝青龍の行為に眉をひそめるのも当たり前。
つまりガッツポーズがアリな人もナシな人も、その人の相撲観から考えれば実に当たり前の結論。相撲観が違うから結論も違うというだけのこと。話の流れとしちゃどっちもスジは通ってる。プロスポーツ的に振舞うか、あくまで国技として振舞うかという問題で、それによってガッツポーズの善悪も決まる。そういう話じゃないですかね。誰がどっちが間違ってるという話じゃなくて、前提によって結論が変わるってだけのことなのよ。
だからどっちの考えでもわしゃ別にいいんだけど、こういう感じで時代のせいにされちゃうのは違和感あるのよね。

ところが、やはりきましたね。品位、品格論…。横綱審議委員会のメンバーから怒りのお言葉…。原理原則はとても大事でしょうが、そこまで問題にすることはないだろうって思いますね。

http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/090930/mrt0909300245000-n1.htm

「相撲は国技である」という観点に立てば問題なのよ、これ。その観点に立たないのなら問題でもなんでもないけど。

確かに、相撲は伝統ある国技であり、源を辿れば神事である。ソレはそれで守り続けなければならないこともあるだろう。だからといって、一事が万事杓子定規に考えることはいかがであろうか。時代とともに社会環境は変わる。見る側だってソレを違和感なく受けいえれるのなら、いい意味での”進化”ではにだろうか。

http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/090930/mrt0909300245000-n1.htm

守るんなら徹底的に守らないといかんのさ。だってそれが「伝統」だし「国技」だし「文化」なわけで。「進化」は必要ないのよ。
こういう話に中途半端は最も良くない。「相撲は国技」としながらガッツポーズ容認というのはちょっとアレ。神事とか武道とかって話と整合性がとれなくなる。他の武道でもガッツポーズがアリならともかく、厳格に守ってるものもあるんだからさ。国技の相撲がそんなゆるゆるでいいのか? ってことになる。
逆にガッツポーズをアリにするくらいなら、もっとプロスポーツに舵を切ればいいのになあと。もっと演出面でテコ入れできる余地はあるだろうし。まだまだ盛り上げることはできるでしょ。
要はスジの通し方と、その徹底の問題だと思うわけです。別にわしゃどっちでもいい。どっちでもいいんだけど、きちっと徹底してくれと思うわけです。個人的には内館牧子の見事な相撲保守っぷりは凄いと思うけどね。皆さんはどんなもんでしょ。