(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

ポジティブですが、何か?

早速反応があったので。

ちゃんとできる人もいるのだから、できてないお前の問題だとしか言われないのは、もう嫌というほどみんなわかっているよ。

いや、この記事はそういうこと言いたいのじゃないのね。

オレが言いたいのは「世代のせいにするのはよそう」と。時代とかタイミングとか、そういうもののせいにしちゃいかんと。「できねえお前がダメ」と言うつもりはないのですよ。
だって、他ならぬオレもダメなんですもん。ダメなオレが、同世代の人に対して「お前はダメだねえ」と言えるわけない。
けど、そういうダメな現実を否定してどうすんのと。それは思っておるわけですよ。仕方ねえじゃんと。就職氷河期だったのはどうしようもない。それをああだこうだ言っても仕方ねえでしょと。それならできない自分を受け入れて、できない自分でもできることを考えるとか、現状で満足してみるとか、高望みしないとか、小さなところに幸せを見つけるとか、色々あるじゃんと言いたいわけ。
それにいわゆる成功者がいいとは思わんのよね。年収300万円でも幸せに生きていけるじゃん。そりゃお金はもっとあったほうがいいけど、無くても問題なく生きていける。衣食住には困らんし、節約すれば貯金もできるし、旅行もできる。
そりゃ上の世代とか、下の世代とかより厳しいかもしれんよ。でも比べても仕方ないでしょ。生まれた年は今更選べねえんだから。そこで恨み節をああだこうだ言うよりは、ポジティブに現状を楽しんだ方がいい。周りと比べることで自分の置かれた位置を見つけるんじゃなくて、自分の位置は自分で決めるんだよ。周りと比べて年収が少ないから不幸という考え方から抜け出して、自分が幸せなら幸せと断固言えるようにしてみては?ってことなのよね。
前の記事に「幸せのツマミ食い」とつけたけど、周りと比べて、しかも周りのいいとこだけを抜き出してうらやましがっても意味がない。いいとこには裏がある。タダなものはない。ならば、現状のいい部分を受け入れればそれでいいじゃないですか。比べる必要まったくなし。幸せそうな人をねたむより、まずは自分が幸せになる方法を探すことですよ。人より自分。他人よりも自分。比較には全く意味がない。幸せそうな人が幸せであるとは限らないし、不幸せにみえることが幸せだったりする。そういう個人の価値観が大事だと思うのですがねえ。
「オレは稼ぎは少ないけど、メッチャ幸せですがなにか?」
こう堂々と言えるようになればよろしいのでは。平均値と自分を比べるのはもうよそうよ。平均値で考えると、平均値より上か下かで幸せかどうかが決まっちゃうじゃん。そういうもんじゃねえよ。平均より下であろうが、オレは断固幸せです。稼ぎは少なくても、ブサでも、バカでも、ニートでも、引きこもりでも、オタクでも、オッサンでも……etc。こう言える自信は持ちたいねえ。
ワタクシ、ポジティブですが、何か?

幸せのツマミ食い

直撃世代のオレがやってきましたよ。

心の傷ですか。そうねえ。傷なんだろうねえ。確かに就職氷河期だったねえ。世は不況不況言われていたし、拓銀やら山一證券やらがバシバシ潰れてた。ゼミの後輩を見ていても、最近の就職事情は恵まれている気がしますよ。単純な比較ならね。
ただ、必ずしもこの世代が不利で、今の世代が有利とは言えんのよ。だって世の中はもっと複雑でしょ。確かに今の方が就職事情はいいかもわからんけども、トータルで見ていいかどうかわからん。例えば就職活動を始める時期。これ、ハッキリ言って今の方が早い。最近は3年の秋口でも遅いくらいで、夏あたりには準備開始という話は少なくない。我々の時代はマスコミなんかの早い業種でも秋。年末スタートでも普通。となれば今の世代の方が学生生活を犠牲にしているわけですよ。約半年間を。この半年間を考慮に入れないで「就職決まっていいなあ」という結果だけうらやましがるというのはどうなんでしょね。
それに、そもそもの話。いくら我々世代が就職氷河期だ不況だなんだ言っても、就職できているヤツは就職できているわけですよ。成功しているヤツは成功している。自分の手柄だろうが、他人の手柄だろうが、うまくいってる人間はそこそこいる。そういう人間になりたいのであれば、そうなるようにがんばれやと。それしか言えんのよね。少なくても自分がまず動けと。この期に及んで助けを待ってるんじゃねえ。人をあてにするんじゃねえ。冷たいかもしれんけど、この世代の人間だからこそ逆にそう思うのよね。そういう時代を潜り抜けて今まで生きてきたのはお前だけじゃねえと思うので。
実際オレなんかも典型的なこの世代の住人ですからね。新卒内定とれませんでしたし、ええ。ま、まともに就職活動してなかったせいでもあるけど。でも何とか生き抜いてきておるわけですよ。新卒で就職できなくても、いくつかの仕事を渡り歩いて今日に至るなわけですよ。時に就職誌で仕事を探し、時に自分から売り込み、時に個人で仕事をこなし、時にヘッドハンティングされる。そんなこんなで生きているわけですよ。

企業は新卒を採用するので、最初のタイミングで躓いた人はもう就職の希望はほぼ途絶える。

これは正しくない。新卒で就職しようがしまいが、躓こうか躓くまいが、就職できるヤツは就職できるし、転職できるヤツは転職できる。

  • 就職しようとする意思
  • 就職するためのスキル(情報収集・面接力・自分の売り込み)
  • 就職後に活用できるスキル(業務能力)

この3つがあるかどうか。能力があっても就職しようとしなければ就職できないし、意思あるし仕事はできても、就職活動のスキルがないと就職できない。ここ意外と重要。仕事のスキルと就職活動のスキルは別。ここで躓いて自信をなくすケースが多いんじゃないかねえ。全く別の素養だと思うんだが。まいずれにしても、就職の問題は基本は本人の問題。世代とか時代とかの理由じゃねえです。本人が悪いのよ。運不運はどんなときにもあるわけで、そこは平等。差がつくのはあくまで本人。

他の世代が受けられた社会的恩恵よりも、ずっと低い生活を覚悟すれば、仕事は無いわけではありません。しかし、上の世代と比べても、下の世代と比べても、同程度のレベルの人が正社員で暖かい家庭やマイホームを築けていても、同じぐらい、いや、それ以上に努力しても、この世代の人たちにはそんな仕事はなかった。派遣で日雇い労働して狭い部屋で独りで暮らすか、実家の親に養ってもらうか、そういう選択だったのです。

こら随分また極論だなあ。ただこれが真実。

他の世代が受けられた社会的恩恵よりも、ずっと低い生活を覚悟すれば、仕事は無いわけではありません。

そ、あるんですよ。仕事は常にある。仕事はあるけど、周りと比べる。周りと比べるから不満に思う。それだけのことでしょ。「隣の芝生は青い」以外のナニモノでもない。メリットだけが気になり、デメリットが考慮されない。メリットだけが欲しい。そういうワガママなような気がしてねえ。

程度の低い暮らしをしていると、他の世代からは、その程度の人間だったのだなと見られます。

程度って何でしょうね。どういう暮らしがいいんでしょ。結局自分が無さ過ぎる。どうしたいのかという基準がない。あるのは「みんなと一緒」。他の世代と同じような就職をし、収入を得る。人並みの家庭をもって円満に。そういう幻想。ただこれは幸せのツマミ食いなわけですよ。そうそううまくいくもんじゃない。またうまくいくためには犠牲が出る。健康を損なう人もいれば家庭を犠牲にする人もいる。逆に家庭を守るために仕事を犠牲にする人もいる。それは全て個人の選択の話。
自分が望んで就職しないなら、それはそれで幸せじゃないですか。引きこもり大いに結構。程度の低い暮らしも大アリ。誰にとやかく言われても気にしなければいい。堂々と生きていればいい。他人の目線が気になるのは「このままじゃダメだ」という現状に対する疑問があるから。ダメだと思っているから、ダメだという目線が痛い。現状を幸せに思っていれば他人の視線なんて気になりませんよ。自分自身に対する不満を他人の目線に投影しているだけでさあ。

同世代に就職に失敗した人が多いと、ちゃんと就職できた人が居ても、同窓会も盛り上がりません。

盛り上がらないのは、あなたが盛り上げないから。受け身だから何事もそうなる。同窓会を盛り上げたいなら、あなたが盛り上げればいい。あなたが何もしないから、盛り上がらない理由をよそに求めることになる。
逆に30にもなって就職云々で同窓会の盛り上がりが決まるって気持ち悪い。どれだけ執念深いんよ。いい加減忘れろよ。この分だと40になっても同じこと言ってるヤツがいる気がする。
「おじさんの若い頃はなあ、就職氷河期って言われてて、全然仕事がなかったんだ」
若いヤツに「だから何?」って言われるのがオチ。過去より未来に、他人より自分に重心を移しては如何? 他人の目線を気にしなければ、世の中はかなり生きやすいと思いますがねえ。
(追記)2008/02/27 19:00
そんなわけで、わたしゃ就職活動で内定ってのをとったことねえです。転職はあるけど、新卒採用失敗組なので。
なので後輩に「内定ってどうすりゃとれますか?」と聞かれると難儀する。すまん、オレも知らんのだ。内定をとらないまま30になっちまったもんで。辞表の書き方とか、失業手当のもらい方とか、求人票の読み解き方は詳しいんだがなあ。仕事辞めたくなったらおいで。

「I Shot the Sheriff」が一番リアル

ニューヨーク・フィルハーモニック北朝鮮公演が無事終わったそうで。

なかなか選曲が嫌味溢れる感じ。

ロリン・マゼール監督の指揮で、ドボルザークが米国滞在中に作曲した交響曲第9番「新世界より」、都会の活気があふれるガーシュインの「パリのアメリカ人」、朝鮮民謡「アリラン」などを披露した。

北朝鮮で「新世界より」だなんて、なかなかシャレが聞いとるじゃないですか。アリランの国に新世界アメリカから来ると。ほんでもって平壌アメリカ人。実に明快なメッセージですねえ。
それを知ってか知らずか、北朝鮮エリック・クラプトンにも公演依頼をしている模様。

NYフィルが「新世界より」なら、クラプトンにも「Change The World」って歌があるんですけどね。世界を変えることはできますかね、北朝鮮の。失敗したとしても「Tears In Heaven」であると。天国の涙。あるいは「いとしのジョンイル」とか。万が一何かあったとしても「I Shot the Sheriff」で万事OK。保安官を撃っちまったと。アメリカを撃っちゃったぜ、オーイエーてなもんですよ。
どう転がってもクラプトンの持ち歌の範囲内でなんとかなりそう。ま、よろしくやってください。

ハビエル・バルデムがキモす

「暗い映画は見ない」がポリシーなので、オレは多分見ないでしょうが、どうやらこりゃスゲエな。アカデミー賞で4部門を制した「ノーカントリー(No Country for Old Men)」。


このハビエル・バルデムの不気味さ。正にキモさ全開。「羊たちの沈黙」のアンソニー・ホプキンスレクター博士役)とはまた違うよね。あれはいわゆる「サイコ」で、精神的な不気味さ。こちらはビジュアルからしてキモい。髪の感じもそうだし、目線、服のセンス、あらゆるビジュアルがヤバイ。声やしゃべりのトーンもキモい。
見る気はないのだけれど、このトレーラーを見ると、やっぱり気になる。武器がガスボンベっていうのも凄い気になる。稀代の悪役。やっぱり見たほうがいいかな。金出してブルーになるのも嫌だしなあ。うう、迷う。
日本での公開予定は3月15日。それまで悩むことにします。うう、気になるぜ。

本日の香港ダメ資料館 −フォアグラ手巻きを食べに行こう−

香港では日本の居酒屋が受けており、人気があります。これは居酒屋大吉の開店広告。もちろん日本にある居酒屋大吉とは無縁。

まず目に付くのは「6折」。これは6掛けという意味で、つまり4割引。新店ご開帳の割引サービスってわけ。
あと誕生日の人がいるとこれが付く。

「慶祝生日在大吉」は「誕生日祝いは大吉で」ってことね。で、この寿司ケーキがくると。香港人はやたらサーモンが好きなので、サーモン主体のケーキ寿司。あの人たち、何故か川魚が好きなんだよな。ボラとか。お惣菜コーナーもサーモンメイン。マグロはサーモンより下の扱い。ま、マグロが高いって理由もあるんだけどね。しかしどんだけサーモン好きなんだよ。サーモンケーキじゃねえか、これ。
あとクーポンでウニが1板ついてきます。食いすぎだよ。コレステロール気にしろよ。
そして一番のツッコミどころがこれ。

フォアグラ手巻きに串焼き牛タン。この手巻きのワイルドさ。雑に盛られたフォアグラ。ツイスティなきゅうり。そして牛タンは牛タンで、この適当な焼き加減。焦げ焦げ風味。下にしいてあるのも、よく見ると笹じゃねえし。何だ、この葉は。得体が知れんぞ、おい。
アシュリーロード沿いにあるようなので、尖沙咀にお越しの際は是非どうぞ。フォアグラ手巻きのレポート求む。