(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

うつにならないためには頑張らない

メンタルヘルス上、「頑張る」ってのは大敵でして。

目標を設けるのはアリなんですよ。張り合いがでる。そこに向けての引き算思考ができますしね。

目標−現状=これからすべきこと

という式で課題が見えてきますし、悪い考えではないんですが、そこに「頑張る」を持ち込むとややこしい。過度な頑張りは、精神的に良くない。
特に大きい問題は、間違った形で答えを出してしまうこと。

目標−現状=これからすべきこと=頑張る

これ。課題を「頑張る」という大きな言葉に集約してしまう。その結果、為すべきことがわからなくなる。けれども、式の答えが「頑張る」と出ているので、できない場合は頑張りが足りないという理解になってしまう。本当は違うのにね。「これからすべきこと=頑張る」という式がおかしいんだから、できない場合の理由も頑張りの話にはならないはずなのにね。
そして、やがては現実と理想のギャップに苦しむことになる。自分のなかでいろいろなものが分裂していく。現実の自分と理想の自分が乖離し、目標とすることと、やりたいことが分かれ、本当の自分が遠くに行き、手元にある自分がわからなくなる。自分は自分であるはずなのに、実態がない誰かのようになってしまう。
「自分は誰なんだ?」
心を病んでしまう入口。

  1. 葛藤のある中でがんばる。
  2. 報われないのにがんばる
  3. やりたくない、嫌いなことでがんばる。
http://mt-uchi.air-nifty.com/blog/2008/05/post_b0aa.html

リンク先でまとめられた人生に疲れる頑張り方がこれ。実体験に基づく話だけに重い。「葛藤」とか「報われない」とか「やりたくない」という言葉のはしばしに細分化され、分裂していくかのような精神状態が表されているかのよう。こうやって振り返れるようになったというのは、やっぱり回復してきたということなんだろうなあ。
あとはこういうところに気をつけるとよろしいのかと。

結果にはこだわらない

目標をおいて、そこに突き進むのはいいけれど、あまり結果にこだわらないほうがいいよ。いい結果が出るとは限らないし、結果を出すのは他人だったりするのでね。人の胸先三寸。それに期待してもしょうがない。
世の中は結構報われないことがありましてねえ。人の気まぐれ、気分、調子、ノリ、偶然とかでも左右されるものでありまして。そこにこだわってもしょうがないよ。
こだわるんなら過程だな。過程が良ければ、そこに至る経緯の経験値が手に入るわけで。それで良しとすればいいんだと思うよ。結果はコントロールできないけど、過程はコントロールできるから。

理由は具体的に

「努力」とか「頑張る」とか「気合」という言葉に理由を求めると良くない。理由がハッキリしないわりに、悪いのはしっかり自分のせいになっちゃうからね。何かを悪くするんなら、キッチリ特定すべき。経験不足なのか、知識不足なのか、能力の問題なのか、タイミングの問題なのかをしっかり調べたほうがいい。きっと何か特定できるはず。
特定できない場合は……保留。わかんねえんだからほっとけ。で、わかんねえから「努力」「頑張り」「気合」という言葉のせいにすんだよな。でもそれは頑張りで乗り越えられるものじゃないぞ。他人が悪かった場合は他人の問題だし、時期の問題なら時期のせいだし、純粋に何が悪いかわからないならば、大体において「何が悪いかわからない」という自分の能力が問題なんだから。
だからとりあえずほっとけ。わかんねえものはわかんねえ。

「○○だけ」の幸福感

普通にただ過ごすだけで幸せと思えるものがあるといいな。音楽聞いてるだけ、楽器弾いてるだけ、コード打ち込んでるだけ、絵描いてるだけ、本読んでるだけ、寝てるだけ、彼女・彼氏と一緒にいるだけ。そういう「○○だけ」の幸福感。何か特別な力を必要としない、普通の幸せがあるといい。
何かをしようとすると大変だからね。疲れない幸せがあるとラク。目標を持って、達成するというカタルシスは結構なものがあって、一種の快楽なんだけど、そればかり追い求めると疲れる。真面目な人ほど、この快楽を求めちゃうんだよな。
なのでニュートラルで得られるものがあるといい。特別な幸せは非日常でしか得られない。普通の幸せは日常でも得られる。そういう日常性を大事に。腹を空かせてドカ食いするんじゃなくて、1日3食規則正しく。幸福感の補給はマメに。水のように。

頑張る必要なし

ま、そもそも頑張る必要もないんだけどね。常に80%の生き方というのかな。100%で生きようとすると疲れちゃう。休養もいる。120%を出そうとすれば、どこかで60%の時期が必要になる。でも80%なら常に同じでいい。そのままでいい。ごくごく普通に、普通の自分をそのままに。それだと精神衛生上ラク
逆に言えば、頑張らなくてもいい生き方を見つけるといい。ストレートに自分を出せる生き方。疲れない方法、ラクな方法、ストレスのない方法。それを選ぶといい。

自分の人生を自分に取り戻す。

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「取り戻す」まで思わなくても、きっと「見つける」ことはできますよ。多分、もうどこかにあるんじゃないかな。気付いてないだけで。あまりにも平凡な方法なので気付いてない。最初から選択肢から排除してたり。あるいはラクすぎて罪悪感を感じたりね。「え? こんなにラクでいいの?」みたいな。「これでいいの?」という疑問。
でもそれでいいんですよ。「頑張る」必要はないんです。頑張りたい人だけ頑張ればいいし、頑張れる範囲内で頑張ればいい。頑張って自分を失ってはしょうがない。やれる範囲内でどうぞ。ダメだと思ったらやらない。自分に優しく、自分を大事に。心の安寧こそ日々の安寧。平穏な日常にこそ幸せあり。