(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

読まずに舐めるな!

舐めてたよ、ケータイ小説。さすが大賞受賞作だわ。

先にこっち読んだからなあ。

これを読み、出だしを見て「ないわー」となり、先を読むまでもねえと断じ、頭の中はすっかりイカソーメンにもってかれ終了。オレが読む機会は永遠に来ないはずだったのだが、これを見て「ん?」となった。

え?
もしかして
これって
おもしろいの?
みたいな。
読まないと
損するんじゃないの?
みたいな。
いや
別に
読みたいわけじゃないけど
でも……
読まずに判断するの?
ねえ、読んでから言ってよ
みたいな。
というわけで、これは実際に読んでみなきゃわかるまいと、全部読むことにした。
……デストロイな文字の配置。ううむ、読みづらい。
なんじゃ、このペラペラな文字数。もっと圧縮できんか。
……でも段々と慣れてくるもんだ。……お、意外と面白いじゃねえか。
……うう、その気持ちわかるぞ、わかる。ああ、切ない。ああ、何とかしたい。
……ぬおおおおっ! こ、これは。涙なしに読めないではないか! くっ、なんたることっ!不覚ッ。
バカにしてたが、読んでみたら良かった。冗長な文体も、結果的にこれで良しと感じる。進みがゆっくりで、行間がありあまっているからこそ、じっくりと感情移入できますのでねえ。自分の身に置き換えて考える時間があることで、余計に悲しく読めるのですよ。何でもかんでも自分の経験がフラッシュバックしてしまうんでねえ……つらい、つらすぎますです。
そういう意味で、これはケータイ小説だからいいんだろうなあ。普通の活字じゃつまらん。冗長だからいい。ペラッペラだからいい。薄い内容だから様々な身の上を置き換えて読んでしまう。それぞれの物語を重ね合わせてしまう。普遍的な話で、ありがちな展開だからこそ、感情移入しやすいというのもある。レアケースだと自分の経験に照らすことができないもんな。ありがちな話だからいい。そこがいい。
あくまでケータイ小説で、文学とは違うものと考えないとダメよね。別ジャンル。別ジャンルだから見せ方が違う。見せるためのテクニックが違う。この違いがあるのに文学の視点で語ろうとするとダウト。ペラッペラだからいいのに、そこを批判してもしょうがない。そこがいいんだもの。前提が違うのに結論をウンヌンしても仕方ない。
あと「イマドキな」っていうのもダウトだな。NGワード。だって、イマドキじゃねーもの。最近の若い子はこんな文体じゃないし。むしろ「なに?この文体?」「ふっるー」とか言うんじゃなかろか。「オバサン?」って言うよ。現役バリバリの女子高生・女子大生あたりは。

あたし彼女」は今時の若者言葉を多用した今までにない文体で、切ない恋心をつづった。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20080925k0000m040019000c.html

あっちゃー。今時の若者言葉(笑)。やっちゃってますなあ。見事に若者リトマス試験紙に引っかかってる感じ。今時の若者はこんな言葉使わねっての。現実はもっとヒドイか、もっとまともかのどちらかだよ。中途半端すぎて、ネタの領域だっつーの。大阪の人に「もうかりまっか?」と聞いて「ぼちぼちでんな」と答えてもらうのと一緒のレベル。日頃からそういう会話をしてるんじゃなくて、サービス精神で返しているだけだっつーの。こんな若者言葉もどきを実際に使ってるヤツなんていねーよ。
まあでも読んでおいてよかった。最初の数ページで断念しなくて良かった。これは全部読まないと真価がわからん。危うく見逃すところだった。dropdbさんの記事見て読み直して良かった。外見で舐めると痛い目見るね。昔、妹が読んでた少女マンガをバカにしてたら、「バカにするなら、読んでからにしてよ」と言われて読んだら激ハマリしたことを思い出す。何事も内容を見てから判断せねば。
舐めてる人にこそ読んで欲しい作品。人生経験が豊富な人ほど泣けると思うよ。巣鴨を行くおじいちゃん・おばあちゃんにこそ読んで欲しい。いろいろな経験に照らし合わせることで、この作品の真価は発揮される。
書籍化するなら、行間とかページ進行の冗長さは残すように編集して欲しいな。字を詰めて活字にすると、この話は全然面白くなくなると思う。ゆったりしてるからいい。そこがわかる編集の人に出会うといいですね。面白うございました。マル。