(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

意味がないからいいんだよ

意味のないことなんてあるのかなあ。

140文字以内の自由な「つぶやき」を投稿し、他人に公開できる交流サイトとして人気沸騰中のツイッターの書き込みの4割は、「今、食事してます」といった意味のない「つぶやき」であることがわかった。

http://www.asahi.com/digital/internet/TKY200909190033.html

「無意味の意味」ってあるんじゃないかな。
個人的には「意味のないものに意味を持たせようとする」ってことが文化だと思ってる。「意味がない」「役に立たない」「いらない」「なくてもいい」というものに価値を持たせることが文化で、その振る舞いこそが文化的であるということなんだと思う。
別に文化なんて世の中になくてもいいのだ。文化的でもなくてもいいんだ。人間なんてご飯食べて寝れば生きていける。それ以外のことなんて本質的には必要がない。やらなくてもいいし、不必要なことばかり。生物としての本能としてはそう。
でもだ。そういう余計なものがあるから人間なんじゃないかな。その余計なもの文化として楽しめる余裕があるから、人間は豊かなんだと思う。「意味がない」「役に立たない」「いらない」「なくてもいい」ものを楽しめるからリッチなのよ。豊かなんですよ。
それにね、呟きとか独り言ってのは意味がないとしてもだ。見る人がいれば意味が出てくる。
呟きは意味がないから誰かに対して言わない。対象の相手がいない。話す相手がない言葉だから独り言になる。だけども、そうした他人の独り言が気になるから、見たいからTwitterではフォローするわけで。「キミの呟きを見たい」ってのがフォロー。自分のタイムラインでは、そうしてフォローした人の呟きが時系列で並ぶ。Twitterってそういうサービス。
ということはね、他人をフォローした時点で意味のない呟きに価値が生まれてる。意味もなく、話す相手もなく投げかけてる言葉がある。そしてそれを「見たい」と思ってフォローする人がいる。フォローする人が生まれた瞬間、誰ともなく発した言葉に、見る人ができる。言葉が発した人が対象を意識しなくても、対象者が生まれる。それって価値の創造じゃないですか。呟きに価値が生まれる瞬間じゃないですか。「見たい」という積極的な思いがフォローという具体的行動に導かせるんだから。
だから確かに「意味のない『つぶやき』」であっても、本当に意味があるかないかは別の話。意味を感じる人はいる。意味を感じた人はフォローする。言葉を発したり発しなかったり、フォローしたりしなかったりの自由な空間こそがTwitterなわけで、それ即ち「無意味」ではないんだよなあ。
言葉を発する側が、その言葉に意味を持たせる必要がなく、言葉を投げかける相手を必要とせず、呟きたい人が呟き、見たい人が見る。この自由度がいいんであって、意味がない呟きができるからこそTwitterは楽しいんです。もちろん意味を持たせてもいいしね。限定ではなく可能。「しなければならない」ではなく「できる」。そういう自由空間なのですよ。
なので、あんまり無粋なことは気にしなくていいよ。意味があると思う人だけ使えばいいし、呟けばいいし、見ればいいんだ。そもそもTwitterを使うかどうかの自由だってあるわけなんだから。Twitterを使わなくても人は生きていける。けど、Twitterを使うと楽しいから使う。それでいいんだ。好きに使えばいいんだ。呟きは無意味だからこそ楽しい。価値なんて後からついてくるし、そもそも無価値でいいんだ。そういう価値観から自由なのが呟きであり独り言なんだから。