(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

俺はそれでもワクチンを打つ

スリードの予感。

「インフルエンザワクチンは危険です!」に変換されそう。
こういうニュースでいつも思うのは、目の前のデメリットが強調されるあまり、背景にあるメリットが無視されるということ。人が亡くなったという事実は確かに不幸だし、悲しいことではあるけども、この事実によって、インフルエンザワクチンが何人の死を未然に防いでいるかという観点が抜け落ちやすくなってしまう。

厚労省によると、昨シーズンは133人がワクチン接種後に死亡している。

http://sankei.jp.msn.com/life/body/101119/bdy1011192133003-n1.htm

絶対的な数値として、133人の死という事実は重い。重いのだけども、相対的な価値観がまったくなさすぎるわけですよ。この数値を医療の結果としてどう受け止めればいいのか。多いのか、少ないのか。受け入れるべきリスクなのか、回避すべきリスクなのか。そして結論としてのワクチンを受けるべきなのか、受けざるべきなのか。
いつぞやのタミフルの件でもそう。タミフルが原因と思われる異常行動があった。だからタミフルは危険だと。しかしその裏でタミフルによって救われた命がある。そのバランスをどう考えればいいんだろうか。重症化や死を未然に防ぐというメリットに対して、デメリットはどの程度のものなのか。そういう正負のバランス的感覚はどこにいっちゃったんだろう。
もちろん本件の記事は事実を伝えるものだから、そういうバランス的な観点を伝える必要は必ずしもない。ないんだけども、事実を伝えることのみではミスリードを招くおそれがあるんじゃなかろうか。こういう記事こそ事実を伝えるだけではなく、客観的な事実を添える必要があるんじゃなかろうか。あるいは報道する側の考え方を表明すべき事柄なんじゃなかろうか。

ワクチンは善なりや、悪なりや。

こういうベースがあっての客観的事実の報道なんじゃないかな。死亡事例というデメリット事例のみを伝えただけでは、読者がワクチンの善悪について考えるときに、デメリット事例に引きずられる可能性が高い。
「あとはみんなで考えよう!」
と言われても、悪い事例しか知らなければ、否定的な結論に誘導されてしまう。良い事例の紹介があればともかくも。
そして最終的には「どういう結果であれ、医療側が悪い」的な風潮になりがちだし。なんか常に悪いんだよな、厚労省とか病院とか医者とか。ワクチン摂取体制が脆弱だと怒られるし、ワクチンをきっちり摂取したことで事故が起きても怒られるし。そりゃひどい関係者もいるし、明らかな人為的なミスもあるだろうけど、なんでもかんでも彼らのせいにする風潮はどうかなあ。この記事ひとつでそこまで考えるのは深読みかもしれんけど、なんかね。
どんなものにもリスクがある。不幸が0.1%の確率で起こるとしても、その確率が自分に降りかかってくることもある。それは困る。もちろん困る。困るが、起こりうるというのが確率というもの。可能性がゼロでない限りは起きてしまう。
しかし、それをもって残り99.9%を防ぐ可能性を放棄していいんだろうか。99.9%を防げるならOKという判断をしなくていいんだろうか。そういう客観的な損得勘定を、もっと尊重してはどうか。と思うわけです。俺は医療の素人だからこそ、客観的なデータ、統計的な確率を尊重したいんだけどね。主観的に判断できる材料や知識を持ってないので。
そしてより安全な方法をとるよ。0.1%を避けて、99.9%に当たるという愚を犯したくないから。よりデジタルに選択します。勘より科学を信用しますよ、はい。