(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

オーナー経営者とブラック企業の話

見事なブラック企業としてのご高説ですね。

言葉の端々に滲み出るブラック臭。実に見事です。「オーナー経営者のいる企業はブラック化しやすい」と常々思っているわけなんですが、自説の正しさを確認でき、恐悦至極でございます。

何故オーナー経営者がいるとブラック化しやすいか?

企業が上げた利益は誰のものになるか。この一点を考えればわかりやすいです。企業の上げた利益は株主のもの。企業の価値が上がれば、その企業の株価が上がるし、利益が増えれば配当が増える。ともに株主利益です。
そのため、オーナー経営者は「経営する企業の利益=自分の利益」になるため、従業員や他の役員、あるいは関係企業よりも、自社の利益獲得に熱心になります。当たり前ですね。自分の稼ぎが増えるわけで、ええ。
これはオーナー経営者の持ち株比率が高いほど顕著な傾向であります。会社の稼ぎがほとんど自分のものになり、それに対抗する他の大株主がいないとなればやりたい放題。自らの利益獲得のために邁進することができます。コンプライアンスなにそれ? おいしいの?
悪い言い方をすれば、「個人の評判が落ちようが、企業イメージを損なおうが、それを補ってあまりある利益が出るならおk」です。利益が出るなら演技もしますし、涙のひとつも見せますし、悪いことだってやります。それが利益という自分のお金にかえってくるならね。
しかしオーナーの持ち株比率が下がり、いわゆる大株主が増えることにブラック率が下がります。体面を気にする株主が出ます。コンプライアンス遵守にうるさくなります。それはその株主にとって、コンプライアンスを守らないことによる不都合が、その企業が上げる利益を上回るからです。
株主ごとの利益対立が生まれることで、ブラック率は低下します。逆に言うと株主の利益対立が生まれないオーナー企業、同族企業にブラック企業は多いわけです。
具体的に見て行きましょう。

株主構成を見ると典型的な同族企業のアレです。オーナー型です。
ま、それもそのはず。

1949. 3 山口県宇部市でメンズショップ小郡商事を創業
1963. 5 資本金600万円にて小郡商事を設立

1949年-2003年 | FAST RETAILING CO., LTD.

元々は柳井等氏が開業した個人商店。柳井正氏は長男であり二代目。東証一部上場の大企業でありますが、沿革を見る限りは「柳井商店」であり、柳井家の会社であります。
そんなわけで株主にも柳井家の面々が並びますし、柳井家の資産管理会社が並びます。致し方ありません。そういうものです。
である以上は「俺のものは俺のもの、ユニクロのものも俺のもの」にならざるを得ません。大オーナーなので。なあ、のび太

自己肯定からはじまる宗教化

ブラック企業の経営者とはいえ人間です。人にはよく見られたいものです。
また、これはそういう欲とは関係なく、純粋に経営的メリットのために人にはよく見られたいと判断する場合もあります。「その方がバイト集めやすいから」とかはその典型。
このふたつの理由の片方あるいは両方により、中身はいくらブラック的であっても、それを中和する作業がどこかではじまります。
ひとつは隠す。そういうブラック企業の要素を表に出さない。情報統制。恐怖政治。
しかしこれは大抵の場合は失敗します。いずれ漏れるし、企業の巨大化にともなって難しくなる。小規模の個人営業ならともかく。このあたりは経営拡大と矛盾する戦略なので、どこかで行き詰まる。
そして出てくるのか宗教化です。ブラック的な要素を正当化する。世間的には許されないことを社内独自の論理を用いて正当化する。
その過程でどうしても洗脳的な要素や、宗教的な要素は出てきます。世間一般ではおかしいことを、なんとかして正当化しなくてはならない。そうなると、むしろ世間が間違っている。常識がおかしい。法律が、制度がおかしい。日本はおかしい。正しいのは我々だ。なんでみんなこうしないの??? となっていきます。
法律とか制度に反する行為を正当化しだしたら要注意。その企業内の論理が法律や制度に反している証拠です。世間より企業内の論理が正しい。小さな世界が出来上がっている証明であり、社長という絶対的教祖を中心にした宗教が完成されています。
しかしながら、それはあくまでオーナー経営者にとって都合の良い世界観で、一般的な労働者にとっては別のもの。「経営者のように振る舞え」と経営者は労働者に言いますが、それは「経営者のような対価」があってこそのもので、月給うん十万の世界で求められるようなものではないということに注意が必要です。その月給は労働基準法に基づく1ヶ月の労働に対してのもので、時間外の労働や忠誠心は含まれるはずもありません。
このあたり、経営者と労働者の違いを意図的に無視しているのも、ブラック企業経営者に多い特徴ですね。

非オーナー経営者による例外

ただ、ブラック企業には必ずオーナー経営者がいるとは限りません。

最近も王将フードサービスの研修が話題になりましたが、こういうブラック企業的な研修をやっているところは結構あります。

王将フードサービスファーストリテイリングの柳井家同様に、創業家である加藤家の持ち株が目立ちますが、アサヒビールやアリアケジャパンといった取引関連企業も大株主となっているところに違いがあります。
こういった場合、過度のブラック化ことにコンプライアンス的な問題があった場合に、それを抑止する効果が働きやすくなります。まあ確かに話題の研修はアレであり、なかなか馴染めませんが、研修以外においての一般業務や待遇においてはわりと穏当です(もちろん問題はあるけれどもね)。
では、何故こういう研修があるか。

わかりやすく言えば「柔道部物語」においての「セッキョー」であります。通過儀礼であります。
研修を受けた結果に意味があるのではなく、研修を受けたということに意味がある。
もう少し付け足すと、研修を受けた人間だけが同士であるということなのです。研修を受けていない人間は同士ではない。
長年続けているために、もう止められないという事情もあります。みんなやっている。でも来年はなしらしい。ずるい! と。
「柔道部物語」では三五十五の世代が後輩に「セッキョー」をした結果、33人入部した部員が5人になった。で、これはまずいと残った後輩部員に「来年はやらないで」的なことを頼んだ結果、拒否されるというシーンがあります。つらい経験は共有したい。そしてつらい経験をした最後の世代になりたくないわけです。「お前らも苦労しろよ!」と。やられたことはやりかえしてえんだ!
非オーナー企業のブラック化の場合、組織的な慣例として根付いてしまっているため、問題として根深いという側面はありますが、誰かのワンマン的な指示でそうなっているわけではなく、ある程度明示された儀式であるためにわかりやすくはあります。ま、同じ黒だが微妙に黒の色合いが違うねというだけですが。
今回はこのへんで。