(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

テレビ局はどこまで公私を使い分けていいのか問題

報道の自由」とか「報道しない自由」っていう高尚な話じゃないんだな。

私企業の合理的選択っていうだけ。
韓流ドラマを多く放送しているのは、それが企業利益にかなうから。また、自社に対するデモを報じないのは、企業利益にかなわないから。
「利益の追求」という私企業の目的達成のために、そうしているだけよね。

それは意図的に報道する素材を取捨選択しているのだ。自社に都合の悪い物は報道せず、それら以外の物はごく普通に報道してしまう。

【報道しない自由】フジテレビが2chを閲覧しながらも薬物を報道しデモを報道しない理由 | ガジェット通信 GetNews

都合が悪い→自社の利益にかなわない→放送しない
ということ。逆に謝罪するのは、謝罪した方が利益にかなうから。
そう考えるとフジテレビがデモを報じないのは自然な話。わざわざ自社への悪評を、自分で広める必要ないもんな。
なわけで、ポイントはこの2点なのではないか。

フジテレビ以外は何故報じないのか

フジテレビにとっては自分への悪口なわけで、報じるわけがないし、報じることによる利益がないどころか、不利益を被る可能性すらある。けれども、他のメディアにとってはどうか。同業他社に起きた話なのだから、報道することの不利益がないし、フジテレビの評判が下がることで得をするメディアだってあるはずなのに。
ここに積極的な理由と消極的な理由、双方の存在を感じる。あくまで可能性ではあるけど。
積極的な理由はカルテルの存在。「お互いにとって不利益になる報道はやめましょう」というカルテルがあるとすれば、報道するわけがない。メディア同士の連携を重んじ、テレビ電波を独占する運命共同体として考えるなら、フジテレビを守りこそすれ、叩く側にはまわらない。
そうなると、日本テレビ・TBS・テレビ朝日テレビ東京は報じないし、親会社の読売新聞・朝日新聞日本経済新聞も扱わない。ま、そういうことになるよな。
また消極的な理由は、明日は我が身という自覚の存在。フジテレビが批判されるならば、いつかはうちもと。何で批判されるかはわからないけども、同じ現象は起こり得ると。こう考えるならば、同業他社間にカルテルがなくても、結果的にカルテルがあるかのように横並びとなり、報道をしなくなる。
どちらかはわからないし、どちらでもないかも知れない。ただ、いずれにしても、フジテレビが自社の利益にかなわないからデモを報じないのと同様に、それぞれの企業にとって、デモを報じないことが利益にかなうという判断をしているんだろう。

テレビ局としての役割は私企業であることに優越するか

メディアといえども私企業。まして株式上場をしていれば、利益を追求して当たり前。株主に利益を還元してこその私企業なわけでね。
ただ、そうなると報道機関としてどうなのよとか、テレビ電波を独占的に使用できる立場にいながらどうなのよ、という問題が出てくる。

深水黎一郎氏が指摘しているように、テレビ局は電波という公共財を独占的に使用している。公的な存在であるわけですよね。そういう「公」の力を使っていながら、同時に「私」を使っていいものかと。公私をどこまで都合よく使い分けていいか。こういう問題が起きてしまうのですよ。
ただでさえ彼らは「知る権利」とか言って、「メディアは特別で、国民に情報を知らせる立場」を日頃から強調しておるわけです。でも、それって本当は「知らせる義務」があってこそ成り立つ話なのよね。権利と義務は対のもの。「知る権利」があるなら「知らせる義務」も当然にあるはず。
となると、「公」の立場を強調し、テレビ電波の使用という独占的・優越的な特権を認め、「知る権利」もあるならば、「公」としてあるべき事実を知らせなければならない。「知らせる義務」を果たさないといけない。時にそれは私企業として都合が悪い=利益に反することでも、「公」であることの義務として応じなくてはならない。
一方、「私」を強調するならば、「公」の要素が減る。つまり、「公」の役割を果たしていたことで、特別に認められていたいくつかのものを手放さなくてはいけない。また、「知らせる義務」を果たさない分、「知る権利」を保護してやる必要もなくなる。
「公」よりも「私」の利益を選択するというのは、本来ここまでの話を含むはずなんだけど、どうもそういう話にはなってない。
個人的には、別に私企業なんだから、韓流に偏ろうが、デモをスルーしようが何しても別に構わんのだけど、だったらテレビ局は公器だとか、「知る権利」とか言わんでくれよと思っております。
利益を追求するなら、公っぽい扱いはナシじゃないですかね。