(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

池上彰氏に立場は必要ないですよ

私はね、池上彰氏が自分の立場を鮮明にするべきとは思ってないんですよね。

池上さんは、情報を分析し、わかりやすく説明し、的確な質問をすることにかけて、稀代の能力を持っている人なのだけれども、池上さん自身のなかには、何があるのだろうか?
池上さん自身は、日本をどうしたいと思っているのだろうか?

最近ちょっと、池上彰さんのことが、わからなくなっている。 - いつか電池がきれるまで

特に質問する場において。
これは「質問力」という話になるわけですし、日本のテレビにおけるキャスター像の話になります。

質問は相手に投げかけるもの

質問ってのは質問側から回答側への攻撃みたいなもんなんです。報道とかジャーナリズムの世界においては特に。なので質問の質は武器の質なんですよ。

基本的には反撃されない

そして政治家と報道という関係においては、基本的には政治家が回答側であり、報道陣が質問側。これが変わることはありません。政治を預かる側は、その情報を広く世に伝えなかればならないし、それを伝える側は、政治家に都合が悪いことを含めて世に伝えると。

武器は必要だが、防具は不要

こういう特性上、池上彰氏の立場においては、質問という武器を磨けばよく、回答という防具を装備する必要がない。相手の立場を聞けばよく、自分の立場を説明する必要がないんです。
これは国会の予算委員会の質疑などでも同様で、質問者は政府に対して質す立場であって、政府は質されるのみ。

質問を演説にしてはいけない

ところが、こういう前提であるのに質問が下手な人は質問に余計なものを混ぜるんです。それが自分の立場、自分の考え。ただ相手の立場を聞けばいいのに、自分の立場を絡めてしまう。
例えば「原発は推進するんですか?」と聞くのに「私は反対ですが」ってのはいらんのです。聞きたいのは相手がどう考えているかであって、自分の考えではない。
ところが言ってしまう。自分の考え方を言いたい。伝えたい。あわよくば説得したいんだろうね。でもそれは質問においてはあまり意味のない修飾語にしかならない。質問という攻撃になんの付加も与えないし、質問文が長くなって、質問がわかりづらくなる。演説なのか質問なのかよくわからない質問、予算委員会でよくありますよねえ。あれ、ダメな質問の典型。
あとは日本のニュース番組におけるキャスターの特性。何故か色をつけたがる。キャスターの政治信条なんて本来どうでもよくて、キャスターの色眼鏡付きの報道がベースな日本のニュースってどうよと思うわけですが、そのような日本式キャスター像を求めるのであれば、池上彰氏が確かに妙だが、欧米式アンカーマンスタイルなら特に疑問がない。自分の政治信条関係なく、視聴者が疑問に思っているであろうことを聞く。これに尽きるし、現にこれをやっているわけで。

質問には準備が必要

池上彰氏がやっていることは、自分の立場を出すことなく、ただひたすら聞く。質問する。その質問内容は、視聴者が疑問に思っていることを端的に、ストレートに。そしてひとつ質問を単独で終わらせず、連続でかぶせていく。質問Aの回答Aには質問Bを。「はい」「いいえ」のふたつの答え方があるなら、その追質問を分岐させる。両方をきちんと準備しておく。
池上彰氏の質問が映えるのは、そういう事前の準備が質問に反映されているからだと思う。質問に自分の主張をのせず、ひたすらに相手の主張を聞く場にする。そういう当たり前のこと、当たり前の準備をしているからこそ、質問の鋭さが見える。
だからこそ回答者はごまかせないし、時にキツイ。相手の主張が延々と続き、最後だけ「どうですか?」とかなら延々とかわせる。
「先生がおっしゃったように、現状は大変困難な状態であります。今後も全力を上げて先生ご指摘のような安全な状態に戻すよう善処してまいります」
予算委員会あるある回答。事故関係の話は大抵これで。
これができないよう過去の言動やら、回答やら、そして直前の質問のやりとりから、相手の回答の選択肢を絞り、そして相手に「質問の意味がわからない」という逃げを封じるため、端的に切り込んでいく。それこそが池上彰氏の強さであり、防具をまとまわない、武器オンリーの戦士の潔さではあるまいか。そしてこれは普通の報道の姿なのに、これが一般化されず、驚きの対象となることに不自然を感じる。これが普通でしょ。普通の質問でしょ。
池上無双が無双にならないよう、質問者のレベルが上がればいいですね。そして無双されない政治家が増えれば、日本の政治環境も良くなるんじゃないでしょうか。