(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

まだこういうレッテル貼りをやってるのか

こういう煽りとか、レッテル貼りは関心しねえな。

この出来事の女性職員だわね。

こういう発言をした。けしからんとしても、根拠のよくわからん「中核派」というレッテルをつけていいもんかね。わしゃ非常に疑問ですよ。発言は発言。意見は意見。主張は主張。それとこの人の人格と何の関わりがあるというんでしょうかね。不思議でたまらん。

  • 人格攻撃は御法度

主張はいくら攻めてもいい。間違った主張に対し、間違っていると主張するのは議論として正しい。但し人格は別。如何なる理由があっても、人格は攻めてはいけない。間違っているのは主張であって、その主張をした人間自体じゃない。ここは分けて考えるべき。議論の対象は主張であり論証。氏育ち、家庭環境、民族、人種といった一切は関係なし。

議論のマナー - (旧姓)タケルンバ卿日記

前にこう書いたように、実りのある議論をするためには、人格攻撃はご法度なのですよ。議論の場は論証を検討する場であって、論証をした人間の人格を検討する場ではない。それは議論とは全くもって関係のない不毛な話。

  • 名前・肩書き関係なし

有名人の発言とか、肩書きの立派な人間の言うことが正しいとは限らんのです。議論に名前・肩書きは無用の長物。どんな無名の人間でも、その主張が論理的で実証的であるならば、その主張は正しいのです。逆に肩書きが立派でも、論理も証拠もないのなら、その主張は聞くに値しないわけです。議論の全ては主張にあり、論証にあるわけですな。

議論のマナー - (旧姓)タケルンバ卿日記

同時にこれ。どんな主張でも、それが論理的であり実証的であれば有益。あの女性職員が日頃どういう行動をとっていようと、あの主張に正当性があれば問題はない。逆に知事であろうと、非論理的で非実証的な主張は叩かれるべき。ただ、叩く対象はあくまで主張について。知事個人を叩いてはいけない。「その主張はおかしいです」と言っていいが「その主張をするあなたはおかしい」と言ってはいけない。それが議論のマナーなんだよね。
なのに「あいつは中核派だ」なんてレッテルを貼ったら、議論も何もない。「お前は何も言うな」に等しい。「中核派のお前は意見を言うな」みたいなもんだからね。全く持って不毛。
ま、こういうレッテル貼りはよく見るんだけどね。何かと言えば「在日は」とか「チョンは」とかの差別用語が出てくる。別に在日の方でも中国の人でもいいんだよ。その主張に聞くべきところがあれば聞いた方がいい。それだけのことであって、その人の氏素性・属性は一切関係のない話なんだがねえ。「右翼」でも「左翼」でも何でもいいよ、別に。問題はいい意見かどうかじゃんか。良いか悪いかだけじゃんか。それを何故できんのか不思議でたまらん。理解不能
大事なことは議論をして何かを得ること。そのためには自由に主張できる環境がなければどうにもならん。それを封殺するような雰囲気があることに疑問を感じますですよ。自由は自由を守ろうとする努力がないとなくなってしまうものなのでねえ。ネットで「中核派だ」と言える言論の自由を行使することで、自らの言論の自由を縛る可能性があることを知っておくべき。自分が何か言ってもそう言われちゃうからね。「お前、中核派だろ」って。
報いは必ず返ってくる。因果応報なり。