(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

妄想メンタルトレーニング

先日、代官山でid:love_chocolateさんといろいろ話したわけなんですが。

そのとき痛感したのは、その人のモテ具合によって発想が違うなあということ。ま、ごくごく自然で当たり前っちゃ当たり前なのですが、あまりの発想の違いに驚いたわけでありまして、ええ。

モテないと先を考えない

非モテをこじらせると、モテることを前提にした発想ができなくなるのですよ。うまくいくことを前提にした行動が、どうにもこうにも想像できない。
例えば、告白なんかに至るプロセスなんかは想像できるわけですな。しょっちゅうしてるから。そこまでの経験値はかなりのものなわけですよ。慣れております。フラれたときのダメージコントロールなんかは匠の領域ですよ。「どうしたことでしょう」ですよ。そこからの立ち直りの早さと「次行こうぜ、次ィ!」的なノリといいますか。「告白千本ノック」と言えばよろしいのでしょうかねえ。
但し、その先がわからない。フラれるのが通常で、ある意味、フラれること前提の発想に慣れているので、万が一成功してしまったときの発想がない。その先の想像がない。告白するし、人を好きになるわけだから、うまくいくことを前提に行動するはずなのだけれど、成功するシーンが想像できないために、その先のイメージがないのですな。うまくいって逆にアタフタというか。または、向こうから告白されて、そういう経験がないので「あわわ、あわわ……」とか。知らないケースへの対応力がないのですよ。想定外なのです。

モテると先を考える

逆に日頃モテている人というのは、やたら先を考えてますな。

  • 付き合うと、こういうところでぶつかりそう。
  • 価値観でケンカしそうだなあ。
  • ほっといてくれそうだから、一緒にいるとラクなような。
  • 見た目はアレだけど、楽しそう。
  • 付き合うなら、こっちかな?

こんな感じの。一歩先を考えるというんですかね。「付き合えるか、付き合えないか」という告白時点の成否じゃなくて、付き合うことになってからのことをベースに考える。ふたりになってうまくいくか、いかないか。想像レベルのステージが高い。

妄想レベルの違い

そういう違いがあるわけなんで、当然妄想の前提も違いますわね。あんまりモテないと、あんまり彼女・彼氏を対象とした妄想にならない。ちょっとした偶然、すれ違い、他人のちょっとした仕草、先輩・後輩、職場にて、通勤での……みたいな。萌える対象が遠い。リアルさから遠ざかるんですよ。リアルで起きないから。起こすケースが想像できないから。そういう場面の登場人物に自分がなることがイメージできない。
逆にモテる人というのは、そのイメージがより現実的なんです。彼氏・彼女にああして欲しい、こうして欲しい。こういう場面ではこう言って欲しい、ああ言って欲しい。手はこう握ってだとか、こういう目線でとか。たまに突き飛ばしてとか、抱きしめてとか。いちいち細かい。それは現実にできるからなんですね。現実化できる。だからこそイメージも具体的になる。できないことは想像できんのです。できるから想像できるんですよ。

妄想レベルを上げてみれば、実現するんじゃね?

そんなことを考えると、これってスポーツの世界でいうメンタルトレーニングの話にそっくりなような気がするのですよ。強者というのは勝つプロセスだけじゃなくて、勝って表彰式でトロフィーを掲げてガッツポーズをする。こんなところまでイメージできるわけです。そしてそれがイメージできるから実現できるんだと。
脳内でイメージできないことは実現しない。逆に、イメージできるなら実現できる。イメージできるからこそ、イメージと現実とのギャップもわかるし、足りない要素、必要な要素もわかる。何をすればいいのかもわかる。そういう発想も生まれる。勝つことをイメージするのではなくて、勝ってからのことをイメージすることで、より勝つための方法が明確になると。何だか松岡修造的な話になってきたなあ。
とはいえ、こういうメンタルトレーニング的な発想を恋愛に持ち込むのは、それはそれでアリな気がするわけですよ。ありもしないシチュエーションでニヤニヤするのは、それはそれで楽しいのだけれど、実現できそうなものを想像してニヤニヤするのもありだし、それが実現したらさらにニヤニヤできるし、それがどんどん発展すれば、ニヤニヤレベルもご発展するのではないかと。そう思うわけですよ。もっとニヤニヤできるんじゃないかと。それはそれで楽しいことではないかと。
妄想メンタル・トレーニングをして、より現実にしていけば、より楽しい毎日がはじまる気がする。……捕まらない範囲でひとつよろしくね。