(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

何でもいいから、出してみろ

書けるなら、書けばいいと思うんだけど。

理由はわかっている。
痛い子じゃなくなったからだ。
自分は大人だと主張するようになったからだ。
そんな文章が面白いか?

文章が書けなくなりました

面白いよ。面白いと思う人もいるよ。面白いと自分が思わないだけで、周りは面白いと思うかもよ。

おそらくは文才なのだろう。自分には間違いなく無い。

文章が書けなくなりました

文才って、何だろうね。オレはわかんない。自分はこういうくだけた文章しか書けないけど、マジメでかたい文章好きの人にとっては、「こいつは何て文才のないヤツなんだ!」って思われているだろうし。また、読みづらい文章でも、内容が伴っていれば悪文も気にならないだろうし。「悪文」と表現したけど、かえってその悪文が文章の魅力を高めるケースだってあるから、悪文が理由の良文もあるはずだし。ケータイ小説なんかまさにそういう感じだけど。
結局、音楽や絵画、文章でも何でもそうだけど、外に向けて何かを出すってことは、最終的には人任せになるんだよね。出し手はあるものを外へ発信する。発信するその時までは、その作品は間違いなくその人の個人所有物なんだけど、一回出した瞬間、出し手のものではなくなる。受け手のものになる。受け手が自由に読み取り、解釈し、意味を加え、あるいは引く。良い悪いは受け手が決めること。自分の評価と全然違う領域で決められていく。
自分がいいと思うことが評価されない。逆にダメだと思うことが評価される。こんなことは日常茶飯事。もちろん世間のニーズをつかみとり、求められるものを求められるときに求められるだけ出す人もいる。芸術のオンデマンド性というのかな。カンバン方式というのかな。そういう感覚がある人もいる。天才的な勘。
でも、大概の人はない。少なくてもオレはない。百発百中みたいなことはできない。そういうセンスはないな。質の自信はない。それにニーズに応じて書くつもりもないし。あくまで書きたいことを書くだけ。書きたいことを書く。それが受けるか受けないかはあまり考えない。それは他者が下すものだからね。外に出すまでに出し手が考えてもしょうがない。趣味でやってるわけだし、ビジネスでやっているわけじゃないからそれでいい。出すだけ出して、あとは受け手が判断すればいいよ。

ただの紹介文なんかが面白いわけがない。
以前はそれを痛い解説をつけることでなんとか面白くしていた。
だがそれができなくなって文才で勝負しなくてはならなくなった。
それが今の状況。それはわかっている。

文章が書けなくなりました

そう決め付けると面白くない。誰かが見てるかも知れない。「痛い」どころか「愉快な」解説かも知れない。
自意識過剰とまでは言わない。そういう自分に対する意識は必要で、オレだって自分が気に入らないものを表に出そうとは思わない。でも、それが厳しすぎると、何もできなくなるよ。やるだけやって、あとは人任せでもいいんじゃないかな。「痛い」解説も、量も重ねればそれが味になるかも知れないし。ま、そもそも自分が「痛い」と思っても、人は痛いと思ってなかったりするんだけどね。
まして勝負する必要もないし。誰と、何と勝負する必要があるんだろう。ブログはそれぞれのスペースなんだから、誰かと勝負する必要はないしね。少ないパイの奪い合いではないし。自分が想定する対象と勝負するのはいいけど、それ以外にも膨大な数の人間がネット上で活動しているわけだから。あんまり対象をイメージしなくても、いいんでねえの? 単純に見て楽しむ側としては、「この人は何と勝負してるんだろう」とかって思うんじゃないかなあ。

だがブログをやめたくはない。
もうすでに自分のアイデンティティのひとつになってしまった。
アイデンティティがこれ以上減るのはもういやなのだ。

文章が書けなくなりました

アイデンティティなら、書き続けるといいよ。何でもいいから書き続けるといいよ。面白い・面白くないとか、痛い・痛くないとか、勝負する・勝負しないなんて気にしなくていい。今、書けるものが自分の実態なわけだから。それを表に出すことがアイデンティティなんじゃないかな? できないことを求めてもしょうがないわけだし。「ダメだなあ、オレ」と思いつつも、今書けるものって、今の自分そのものであり、今の自分の限界値でもあるわけだから、それでいいじゃん。
限界以上を求められないよ。できるわけないよ。できないから悩んでいるわけなんだから。限界値に立って、その限界を超えられないって嘆いているだけなんだから。その限界の中で日々活動するだけの簡単なお仕事だと思うなあ。限界は超えられないんだよ。だって限界なんだもん。限界って意味はそういうことでしょ?
仕事でも何でも、自分に対するハードルとか、要求の高さが逆に出力を阻害することもある。逆にハードルを下げて、要求を下げて出力するといいと思うよ。トートロジーで当たり前のことだけど、人はできることしかできないし、できないことはできない。ムリしてやろうとすれば、極度の疲労、機能の停止、心の病。とりあえず何でも書いてみなよ。
クソだっていいんだ!
クソを出してみろ!
スッキリするぜ!
汚い言葉で締めてみる。書いてみ。何かあるかもしれんから。