(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

「文章を書く」のはやめられない

コンビニ店長のブログ閉鎖について。
いつも通り勝手な推測だけど、何かしらの形で戻ってくるんじゃないかなと思う。というのは、文章書くのが好きな人間って、一度は文章書くのをやめても、結局は他の方法が見つからず、やっぱり文章書くもんだから。そして書いたらやっぱり公開したいもんだから。
文章書いてるとね、まとまっていないことがまとまるんですよ。「文章を書く」行為に思考をまとめる効果があるというか。時に「ああ、自分はこういう考えだったのか」「こういうことを言いたかったのか」みたいなこともある。
で、書くこと自体に効果があるので、書いて満足してうpしないこともある。文章を書いてみたら、事前に思ってたことと全然違う結論とかになって、うpする必要がなくなったり。でもそれはそれで書いてみたことの恩恵だからおk。
そういう体験を経験している人間にとって、文章を書く行為の代替物ってあんまりないんだよね。変なのが出る。脳内麻薬なのかね。自分は結婚して以来、妻を優先しているし、仕事が忙しい時は仕事優先でブログを後回しにしていても、やはり文章を書く時間は自分にとっては重要で、ゼロにはできない。記事にしてうpするかどうかは別として、文章を書きつつ、ああだこうだと考える時間が自分にとって必要。
コンビニ店長だって、仕事が忙しい中でもあれだけの長文記事を書き続けていたわけだからさ。似たようなところがあるんじゃないかと思う。文章を書くことが嫌いだったらあんな長い記事書けないし、書くことで新たな考えを手に入れ、それをさらにまとめようとするからこそ長文になっていくし、長文であっても推敲しているから、長文であっても読みやすかったのだと思う。まとまった考えを文章化しているわけだから。
身元バレはいかんともしがたいところで、特にフランチャイズ契約を結んでいるような関係があると、守秘義務の問題があるだろうし、守秘義務違反が疑われるというだけで何らかの不利益がある。そういう不利益が目の前につきつけられれば、誰だってやってられないし、面倒くさくなる。とりあえず放り投げる。
でも、文章を書くという行為の代わりがない以上、やっぱりどこかで帰ってくる。文章書きの習性ってそういうもんだと思います。書くのが好きな人は書かないとダメなんよ。それがブログであれ、日記であれ、同人誌であれ。何かしら書き続けるもんです。一時的に離れても結局は帰ってくる。
そんなわけで、コンビニ店長の帰りを待つ次第。また彼の文章を読みたいな。