(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

仕事ブログ・趣味ブログ・自己啓発ブログ

過度な一般化は誤解を生むということなのかな。

対象を「ブログ」とするから、広すぎるわけで。
一口にブログと言っても、その目的はいろいろあると思う。

仕事ブログ
趣味ブログ
自己啓発ブログ

大きく分けてこの三つかな。
そしてそれぞれ目的が違うから、求めるものも違うし、関わり方も違う。
例えば仕事ブログではページビューは結構大事。ブログを見てもらうことで果実を得ようとしているので、見てもらわないと話にならない。目立たなくてはいけない。目立ってなんぼ。読者を前提としたブログでなければならない。
なので、ある程度の炎上マーケティングも許容される。目立たないよりは目立った方がいいので。限度はあるけどね。
一方、趣味ブログはあまりページビューは重要ではない。ブログを書くこと自体で満足できるという人もいるだろうし、書いた結果としてのページビューも満足感の一部にはなっても、それ自体が目的ではない。読者の存在を前提としない。
そのため、炎上マーケティングは必要にならない。趣味としての継続性の方が大事。ひっそりと静かに穏やかに書き続けるほうが趣味としての実益にかなう。
こと「見られる」という一点にしぼっても、目的が違えば求める内容も変わってくる。
同じようにブログを書く・書かないという話においても同様で、仕事ブログであれば書かないと話にならないし、書くことそれ自体がそもそも仕事であったりもする。
一方趣味ブログの場合、趣味であるから、自分の楽しさに反することはしなくてもいいし、他にもっと楽しいことがあれば、ブログは後回しでもいい。このあたり趣味としての順位付けの問題でね。囲碁とブログが趣味の人がいて、囲碁の方が好きならば、囲碁優先でいいわけで。
で、自己啓発ブログ。
ブログを書くことで自分を高めようと。そういうことであれば、まあとりあえず書けばいいんじゃないかな? としか言い様がない。書くことで自分を高めたい。結構。ならば書け。このあたりは仕事ブログと一緒と一緒で、まずは書かないと話にならない。
違いは質。仕事ブログは業務としてやるわけだから、企業を代表していたり、仕事としての個人を代表しているので、ある程度の質が求められるけども、自己啓発ブログの場合は質は度外視でもいいと思う。
そもそも自分を高めようとしているからブログを書こうとしているわけで、質の低い自分を出していくことで、その部分の向上を求めていけばいい。乱暴に言えば、「なんでもいいから、とりあえず書いちゃえばいいんじゃないかな」だ。
ブログが自己啓発につながるとすれば、おそらくこの二通りの経路だ。

ブログを書くこと
ブログに対する反応

何かしら文章を書いていけば、「文章を書く」という能力が上がるだろうし、それに付随して、文章にまとめようとする過程で、論理的な思考力とか表現力が身につくだろうと。
また、ブログに対する反応によって、それまでの考えを改めるきっかけを得たり、間違いを間違いと気付くこともできる。
デメリットは、ブログを書けばブログを書く時間がかかり、余暇時間が少なくなる。ブログに対する反応は好ましいものだけではないので、精神的ダメージを受ける可能性がある。このあたり。ま、これはブログを書くこと・ブログに対する反応によるメリットとのバランス問題。書けば書くほど「ブログを書くこと」のメリットは期待できるが、それだけ時間もかかっちゃうよと。外に遊びに行く時間とどっちをとるかはその人次第というわけでね。
まあ、仕事でブログをやるわけじゃないなら、気軽に取り組めばいいんじゃないかな。ここに一ヶ月更新もしないで放置とかする人間もいるわけで。俺だよ、俺。
あ、ちなみに俺は完全に趣味ブログの人。趣味だからブログを放置できる。他に楽しいことがあればそっち優先。仕事が忙しい時は仕事にかかりきり。シングルタスク人間なので、同時にいろいろはできん。趣味にはそういう割り切りも必要なんじゃないかな。

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

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