(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

数字よりも幸福感

ブログだとアクセス数やはてなブックマーク数。mixiだとマイミクの人数。Twitterならフォローの数とか、ふぁぼられの数。Tumblrでもリブログの数。ネットでのものって、とかく数字がある。そして使う側としても、やっぱり数字を追いたくなってしまう。現実、こういう数字が増えるとうれしいもんだしね。正直うれしいよ、やっぱり。
でもね、こういう数字を追って幸せにならないなら、追ってもしょうがないと思うのね。費用対効果の話でもあるんだけどさ。「疲れに見合わないリターンなら、やってもしょうがなくね?」なわけ。俺はハナから疲れる気なんてさらさらないんだけど、あくまでそれは俺の考え方であり、行動方針でしてね。疲れに見合うなんらかの利益があるなら、まだいいのかなあとは思っているんですよ。実はね。「楽しい」みたいな感覚も立派な利益だし。でも、手間に見合う利益がないなら、手間をかけるだけ空しいと思うのね。そういう費用対効果の話なんですよ、はい。
そういう意味で、ネットでの活動に関しては、数字を追うよりも、数字に出ないものを求めた方がいいような気がする。ブータンのアプローチみたいに。

国民総生産(GNP)という数値に出る経済的な豊かさではなくて、国民総幸福(GNH)という数値に出ない内面的な豊かさを求める発想。ネットに求めるものって、これでいいと思うんだよね。
そして数字は幸福感を高めるための道具として使えばいいと思う。目先の目標があると、何をするにも張り合いがあるし、それをクリアしたときに達成感がある。義務感にならない程度に目標を置いておくのは悪くないような。マラソンなんかでも最初から「42.195km走るぞー」と考えるとつらいけど、「次の電柱まで」とかなら堪えられるじゃないですか。そういう用途がいいんじゃないかな。
あくまで目標は追うもので、追われるものじゃない。目標にするための数字もまた同様で、追うものであって、追われるものじゃない。「追うもの」として使うことで、数字も幸福感を生む材料に使えるんじゃないかなあ。「絶対に達成すべきノルマ」と考えるとつらいよ。達成するためのスケジュールが自動的にできてしまうからね。そうなると数字に追われてしまうよ。
ま、気楽にやりましょうよ。