(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

義務教育にはマキュアン友の会が必要だ

義務教育で必要なのは、留年制度じゃなくて、補修制度なのだと思う。
ある何かができなかった生徒に対し、その学年の経験をもう一度させる必要はなくて、そのできなかった何かをわかるまで教えることなんだと思う。
初等教育なんてのはつまるところ積み重ね。理解できた物事の上に、新たな理解を積んでいく。
「何かができなかった」という場合、単純にそれが難しいわけじゃなくて、難しくしている理由がある。即ち、前提段階の理解が欠けているため、次のステップに進めない。
算数で言えば、分数は割り算を理解していた方がわかりやすいし、割り算を理解するには、掛け算を理解しておいた方がいいし、九九を覚えておいた方がいい。
物事を理解するには順序があって、その順序をデタラメにすると、知識が体系だって得られない。
留年ってのは「わからない」という結果に対し、「何故わからないのか」を調べることなく課すことができる。「何故わからないのか」のポイントが解決されないと、同じ学年をもう一度経験させたところで、同じ結果になる可能性が高い。
わからなかったことに対し、すごろくの振り出しに戻るの如く学年ごともう一度同じ経験をさせるのは、学力向上の方法としては野蛮な手段で、根本的な解決にはならない。何がわからなかったのかを突き止め、それを教える。それもわかるまで。面倒だけど、根本的な解決を目指すならこれじゃないかな。
トラックレースでの一周遅れ扱いではなく、マラソンにおけるトップ集団から遅れた小集団みたいなものができればいいのになあ。ツール・ド・フランスとかの自転車ロードレースだと、トップからいくら遅れると失格みたいな設定が各ステージにあるんだけど、山岳コースみたいな厳しいステージでは、失格にならない程度に走破することを目指す人の集団ができる。

グルペットって言うんだけど。
授業を理解できす、わからなくなった生徒を吸収するグルペットがあればなあと。で、先生はグルペットのリーダーよろしく、その集団の歩みを遅くし、コントロールする。「マキュアン友の会」におけるマキュアンの役割ができないものかと。
トップ争いを繰り広げる生徒がいてもいい。でも、その一方でそれについていけない生徒を吸収する仕組みが義務教育には必要なんじゃなかろうか。一周遅れ扱いの留年ではなく、ゆっくり山をのぼる補修の充実こそ必要だと思う。少子化が進んで、以前より学生が減り、先生の数に余裕ができるようになる今後こそ、こういう考え方を実践するチャンスじゃあないかなあ。