まあ、結婚したからって偉そうに言える立場ではないのですが。
自分なりに思うことがあるので、備忘まで。
人の心なんてわからない
私の場合、こういう諦観がベースです。わからん。わかりようがない。そこはまず諦める。どうにもならん。
でも開き直らない
でもね、わからないからいいと思うんだ。わからないなりに考える。相手の気持ちになって。立場になって。
自分以外の他者のことなんて、完全にはわからない。でも、わからないなりにする努力が重要なんであって。そこに進歩の鍵があるし、いつか本当にシンクロできるかも知れない。現状において諦めても、未来においては諦めたくない。
好き嫌いは自分と同じ
とりあえずは自分を基準におく。他者がどういう考えかわからん以上、とりあえず自分基準。自分が好きなことは人も好きであろうし、自分が嫌いなことは人も嫌いであろうと。
想定より事実を優先する
でもあくまで想定。想定だから、別な事実が出ればそっち優先。想定より事実。自分が思っていたこととずれることはありうるし、むしろあって当然。
受け入れ難い差ほど認めよう
自分との違いは受け入れなければならないし、自分が受け入れ難い差を認識することが、人を受け入れる前提だと思う。
不都合な事実を受け入れないと、あなたが巻き起こす不都合な事実が受け入れられなくなる。
寛容さは返ってくるとは限らないが、不寛容さは確実に返ってくる
それはもう確実に。即時性も高いし、露骨に返ってくる。
性差は無視する
「男は」「女は」という言い訳はあまり良い結果を導かないように思う。4種類の血液型診断があてにならないなら、男女という二分割はますますあてにならない。
男女の差を意識するくらいなら、人としての個人差を重要視すべきだし、その個人差を受け入れ、個人差を理解することこそ、相手の人格理解であり、「心がわかる」につながるんじゃないだろうか。ほんでもって、それでもなお人の心がわからないからこそ、わかるための努力をするもんじゃなかろうか。
男女の違い
前述の考え方になったもんで、「男女の違い」がネガティブな意味合いで使われる場合、それは言い訳のようなものな気がしている。単なる個人差とか見解の相違を、それを受け入れたくないあまり、わかりやすい性別の違いとしているんじゃないかと。
より本質的な違いは、ポジティブな意味合いとして出てくるような。個人差とは言い切れないポジティブな何か(魅力とか)が性別差なんじゃないのかなあ。
まとめ
- 自分と他人は違う
- 他人の考えなどわからん
- でもあきらめない
- ましてや性別の違いを理由にしない
- ひたすらにわかろうと努力するのみ
とまあつらつらと。かなり遅目の夏休みを過ごす湯河原の地で。もっと嫁さんの気持ちがわかりたいもんです。