最初にお断りしておくと、この記事ではアレがパクリだとか、これがパクリだとかのパクリ事実の認定。あるいはパクリの善悪。こういったことに関して筆者の考えを書くものではない。そういう事実認定や善悪の判断は当事者の問題であり、司法などの場によって判断されるべきものである。という前提で読み進めていただきたい。
……という前置きが必要な話なのである。入り組んだ話である。
話のはじまりは高円寺にて発見したこのお店。
俺のコリアン。
直感的にまず思ったのは、「俺のフレンチ」の系列? ってこと。
しかしよくよく考えてみれば、銀座を中心に展開する同系列が、なんで高円寺? ということと、商店街沿いではあるものの、駅前からだいぶ離れたその立地。不自然である。
そこで帰宅して調査開始。
「俺のフレンチ」や「俺のイタリアン」を展開するVALUE CREATE株式会社のサイトによると、2013年5月8日現在、「俺のコリアン」を展開している形跡はない。
また、Googleにて「俺のコリアン」で完全一致検索をかけたところ、同じく2013年5月8日現在では同店のサイトや、同店を運営する企業のサイトは出てこない。
これは「食べログ」「ぐるなび」での店舗名検索でも同様で、「俺のコリアン」という店名は、2013年5月8日現在、少なくてもインターネット上には登録されていない店名となる。
看板の類似性
「俺のコリアン」とVALUE CREATE社との関連性はない。それはわかった。では、わたしが思わず「あれ? 系列店?」と思ってしまったのは、果たしてどこまで私のせいなのかどうなのか。
そこでまず私のケースを書く。私が同系列と思った第一の理由は店名。「俺の+料理ジャンル(国)」という形式は「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」を連想する。「俺のコリアン」も同様の形式であり、そのために同系列と勘違いした。
第二に看板。「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」に似ている。比較のために看板を撮影してきた。
- 白地の看板
- 両側に色
- 中央上部に料理ジャンルを赤字で
- 中央に店名(フォントは毛筆風)
- 中央下部に店舗がある地名をローマ字表記で
このように看板の要素を抽出すると、両者の要素は同一である。特に「俺」の字体は近似している。
錯誤は誰のせい?
しかしながら、この勘違いは誰のせいか? という視点で考えると、わたしの勝手であるとも言える。
そもそもこの勘違いは、「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」という店を知っているから起こったわけで、知らなければ何の問題もない。
また、「俺の」にしても、それに続く「フレンチ」「イタリアン」「コリアン」にしても、実に一般的な単語であり、その単語がある一定の商品イメージにつながるとは必ずしも言えない。
VALUE CREATE社が「俺の」という言葉において独占的な使用権を持っているとかなら話が別だけれども、ごくごく一般的な単語に独占的な権利があるかどうかは、それこそ司法的な話。明確な司法判断がない限りにおいては、あれがダメ、これがダメと素人判断で結論を出すのは、それはそれで危険な話に思える。
「俺の」商標出願
そこで「俺の」を巡る商標の扱いがどうなっているかを調べる。
こちらの検索機能を使って調査。
ここでわかるのは「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」は、VALUE CREATE社によって商標登録されている。ともに出願日は2012年9月27日となっている。
一方、「俺のコリアン」は井上和弘氏によって商標登録されており、出願日は2012年12月26日となっている。
話を単純化すれば、VALUE CREATE社の方が出願が3ヶ月早い。だから元ネタはVALUE CREATE社? という推測はできる。できるが、じゃあこれまで「俺の」がつく飲食店がなかったかというと、そうでもない。
例えば、店名が商標登録されている「俺の」がつく人気店というくくりで考えると、「俺のハンバーグ山本」があげられる。
こちらは登録商標として、株式会社ムジャキフーズにより2007年2月26日に出願されている。
そうなると、「俺のコリアン」が「俺のフレンチ」視点でナシなら、「俺のハンバーグ山本」視点では「俺のフレンチ」もナシなのではないか? という話もできる。両者の類似性を考えるに、これはだいぶ無理筋ではあるけれども、「類似とは何か」という点を整理すればできない話ではない。
何をもってオリジナルか
ワタミ VS モンテローザなど、飲食業界では訴訟の歴史がある。居酒屋か。居食屋か。赤看板にオリジナリティーはあるか。争いの種は尽きない。
ことに店名の場合、店名は店のアイデンティティーであり、ブランドそのもの。しかしながら、その名称が一般的な言葉の場合は、独占的に使用することは難しい。
例えば「俺のフレンチ」であれば、「俺の+別単語」という形式を止めることは難しい。わたしがカレー屋を出すとして、「俺のインディア」と命名することを法的に誰が止められるというのか。「俺のチャイナ」でも「俺のモンゴリアン」でも「俺のロシアン」でも。
また「別単語+フレンチ」という形式も止められない。「僕のフレンチ」「私のフレンチ」はアリやナシや。
実際に株式会社モンテローザは「男のイタリアン」という商標を既に登録している。くしくも「俺のコリアン」と同じ2012年12月26日出願扱いで。
真似する利益と真似される不利益
とはいえ、こうした話が法的なレベルより遥かに深刻であるのは、利益の片務性にあると思う。
真似する側には利益がある。真似する側の評判が自らの店に帰ってくる。真似する相手が有名で、評判が良く、人気があればあるほどに見返りは大きい。
一方、真似される側は、真似する側の評判が良かった場合の見返りは少ない。それよりも評判が良いから真似されているわけで。一方で、真似する側の評判が悪ければ、自らに何の瑕疵もないのに評判を下げられてしまう。
真似する側は、真似をしたそれだけで利益があるが、真似された側は、真似する側に不手際があれば不利益を被る。
こうしたアンバランスが当事者を頑なにさせる面がある。そしてそれを保護したり救済したりする方法がないということが、事態をより重くさせている。
真似したと思われる側が、真似された側もうれしくなるような、きっちりとした店舗運営をすれば問題は少ないのだろうけどもね。
今回はこのへんで。