続々・被災地の今を訪ねる(1) - (旧姓)タケルンバ卿日記 より続きです。
11月11日朝6時45分。例年通りJR山手線の大塚駅で友人と待ち合わせ、車を北に向けて走らせます。
首都高から常磐道へ。常磐富岡インターから国道6号線に出るルートです。
常磐道は東北道よりも空いています。また、道も起伏が少なくとても走りやすい。事前に南相馬の方から「やっぱり常磐道まわりがいいよ。道が良いし、空いてるから」という情報は得ておりましたが、その情報通り。とてもスムースです。
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測定値 | 年換算値 |
---|---|
0.06μSv/h | 0.5mSv/年 |
0.11μSv/h | 1mSv/年 |
0.23μSv/h | 2mSv/年 |
0.57μSv/h | 5mSv/年 |
1.14μSv/h | 10mSv/年 |
2.28μSv/h | 20mSv/年 |
測定値を年換算に直した場合の一覧表がこちら。測定値は「マイクロシーベルト毎時」で、年換算値は「ミリシーベルト毎年」。単位が違うことにご注意ください。
国際放射線防護委員会(ICRP)が2007年に出した勧告では、事故発生等の緊急時における放射線防護の基準値を20〜100ミリシーベルトとしており、その下限値です。この値を考慮して、国は、事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのある区域を「計画的避難区域」としています。
環境放射線測定結果
また、同じ国際放射線防護委員会(ICRP)が2007年に出した勧告では、事故収束後の復旧期における管理できる範囲での、 一般の人の年間積算線量として1〜20ミリシーベルトという値を示しており、その上限となる値でもあります。
20mSv/年の意味合いについてはこちらを参照。20mSv/年という数値がひとつの基準となり、計画的避難区域となるかどうか。その場所にとどまることができるかどうかの目安となっております。
東京都豊島区東池袋4-39-14 - 0.05μSv/h(2014-11-11 6:49)
常磐自動車道 181km地点付近 - 0.18μSv/h(2014-11-11 9:12)
福島県に入り、いわき中央ICを過ぎたあたりで計測。一見高いように見えますが、自然界では特に珍しくもない数値。誤差の範囲ということでもあります。
常磐自動車道 203km地点付近 - 0.10μSv/h(2014-11-11 9:31)
国道6号線 252km地点付近 - 4.96μSv/h(2014-11-11 9:56)
富岡ICで常磐道から国道6号線へ。大熊町で計測したところこの数値。
こちらの計測でも高い数値が出ている場所。年間の数値で言うと40mSvを超える値。
写真は撮れなかったが、瞬間的には6.0μSv/hを超える数値も表示されていた。あくまで車での走行中における計測のため、正確性に難はあるものの、未だに高い線量が計測される場所であるということは間違いない。
車内の空間線量が最も高かったのは、大熊町夫沢の毎時9.01マイクロシーベルト。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201409/20140917_63012.html
河北新報の取材でも、このような数値が計測されています。
国道6号線 254km地点付近 - 0.64μSv/h(2014-11-11 9:58)
大熊町から双葉町に入ったところで計測。あっという間に下がる。除染作業の進み方や、場所によって滞留してしまっている放射線その他の問題により、高い放射線量が計測される場所は残っている。しかしながら全般的に見て除染は進み、国道6号線の通行が再開されたように問題は少なくなってきているということなのでしょう。
今回の規制解除区間について内閣府は、自動車のみ通行でき、オートバイや自転車、徒歩は通行を制限するとしており、原則として駐停車もできないことになっている。
浜通り「便利になった」 6号国道規制解除ルポ 残る高線量区間 | 東日本大震災 | 福島民報
二輪車や歩行者などの通行は禁止していること。原則的に駐停車を禁止していること。あくまで通過という前提での走行に限っている現状では、危険性は限定的であるし、ある程度はコントロールされているように感じます。
「放射線の危険性より、経済性をとるのか!」
こういう批判は現にあるようです。が、現実的に国道6号線に不通区間がある不利益は大きく、東北道をまわらないと南相馬に入れないことによる時間的、距離的な負担は本当に大きい。現に今回、1時間はゆうに短縮できたわけですし。
また、浜通りが浜通り足り得ないというアイデンティティの問題が大きいように思います。浜伝いにいわきに出れない浜通りってどうなんだろうと。浜通りの分断状態解消は悲願だったように思います。
やっと道は一本につながり、北にも南にも出れるようになった。次は鉄道。常磐線の今後をどうするか。まだまだ課題はありますが、前進したからこそ次の課題が出てくる。目に見える前進だからこそ、次の課題が目に見えてくる。
浜通りの復興はまさにこれから。
(つづく)-続々・被災地の今を訪ねる(3) - (旧姓)タケルンバ卿日記 へ