(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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続々・被災地の今を訪ねる(3)

続々・被災地の今を訪ねる(2) - (旧姓)タケルンバ卿日記 より続きです。
放射線の話題は終わりにして、実際に国道6号線を走ったところに話を戻します。


尚、通行が再開された区域では、駐停車は禁じられているため、写真はすべて走行中の車内から撮っています。

常磐道の富岡ICを出て、国道6号線に向かいますが、右を見ても左を見ても草木がうっそうと生えています。2011年3月11日を境に人の手は入っていないためです。

国道6号線に入る交差点のところで撮影したもの。歩道のところにあるガードレールがこのような姿に。当然のことながら歩行者はなく、車道だけが整備されている状態。


国道6号線に出ました。信号はすべて黄信号。作業車が目立ちますが、一般車も多く、生活道路として機能しているようです。

店舗などの建物の入り口には一様にシャッターが設置されています。異様な雰囲気です。

国道6号線につながる道路はすべて封鎖されています。また、あらゆるところに警察車両やガードマンがいます。路地や建物への入り込みの監視や、駐停車への注意などをしているのでしょう。国道6号線以外を走行することができません。

シャッターがない店舗などもありますが、そのような店舗は工事関係者用になっています。一般の人の利用、立ち入りはできません。

どの店舗も封鎖されています。

浪江に入るとそういった物々しさはなくなります。店舗の入り口のシャッターはなくなります。

しかし許可証のない一般人が脇道に入ることはできません。
浪江町役場の手前に営業しているコンビニがありました。

ローソンの浪江町役場店。

同社によると、原発事故発生後、全域が避難区域になっている町村でコンビニが再開するのは初めて。

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ごくごく普通のローソン。裏に浪江町役場が見える。

しかしローソンの左側を見ると、営業を停止した建物群。役場横の国道沿いの、いくつかの店舗が並んでいる場所で、ローソンだけ営業している状態。

ローソンが面している交差点は、他の交差点同様に町内の立ち入りができません。

浪江町では町内全域が現在も避難指示区域に指定されています(2014年10月1日現在)。
通行もできる。一時帰宅もできる。しかし住むことはできない。そういう状態が続いています。

国から示された避難指示解除見込み時期は、
「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」においては発災から5年
「帰還困難区域」は発災から6年です。

http://www.town.namie.fukushima.jp/site/shinsai/20130401kuikiminaosi.html

「発災から5年」ということは、早くても2016年。再来年の話。

実は同店は原発事故前、地元のフランチャイズオーナーが経営していた。開業セレモニーには元オーナーの渡辺正見さんも参加し、あいさつをした。「10年あまりにわたり、浪江でローソンを経営していた。私の生まれ育ちは(近隣の)富岡町だが、浪江は第2の故郷だった。だがあの原発事故で、ここを離れることを余儀なくされた」。
渡辺さんは今、震災後に生活の拠点とした仙台市で新たにローソンを経営している。この秋には、仙台に新居も完成する予定だ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20140904/270814/?rt=nocnt

流れ行く年月の中で、地元を離れる人は少なからずいる。被災から既に3年。さらにもう2年の時を待たねばなりません。
少しずつ状況は良くなっているし、今回の国道6号線の規制解除で物流も動く。しかし「住む」という生活の根幹がままならない。
住むことができるようになるまでは、住民としての時は止まったままなのでしょう。
(つづく)続々・被災地の今を訪ねる(4) - (旧姓)タケルンバ卿日記