(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

続・被災地を実際に巡っての雑感

長くなりましたが、一応書き終わりました。

目立ち始めてきた復興の地域差

昨年の時点では、被災地の状況というのは細かい差はあれど、どこも似たり寄ったりで、瓦礫処理や各種施工に向けた測量の実施を行っていたように見えたわけですが、今回見て回った印象では順調に復興に向けて強い足取りで前進している地域と、前進しようとしている地域と、やっと復旧に目処がついただけの場所、そして復旧にも至らない場所と、様々な地域差があるように感じました。
これはその地域それぞれの予算規模や人口規模の問題であったり、道路や鉄道といった輸送インフラの差、あるいは震災における被害の内容と規模の差が影響しているでしょう。

原発事故による分断

中でもその地域差の要因として、原発事故の影響の有無は大きいように見受けられます。


この路線図が示すように、福島原発によって南へのルートが閉ざされてしまった福島県浜通り地方は、他の地域とは別の次元の苦しみがあるような。福島県の中でもこの地域は隔絶しており、福島県として一体と扱うことに不合理が出てきているような気もします。
福島県浜通り中通り会津地方という区分けが一般的で、この3区域に結構な違いがあったわけですが、その浜通りの中に福島原発を挟み、南北の区分けができたように感じます。
今まで浜通り常磐線国道6号線でつながれ、そのルートによる一体感があったわけですが、それが福島原発により分断されてしまった。同じ浜通りといっても、南に出るルートがあるいわき市と、そのルートがない南相馬市や相馬市とはもはや事情が違う。
水戸・東京方面の常磐線の復旧が、今後も原発事故の影響で期待できない一方、仙台方面への復旧は路線の移設などで時間がかかるにしろ、現実的になっている。そうなってくると、福島県としての一体感より、海沿いに出ることができ、且つ最も近い大都市である仙台への一体感を強めて行くのが致し方のない選択となるでしょう。福島県の地域ではあるものの、実質宮城県かのような。
そういう行政区分上の不都合が間近にあるわけで、今後はある意味の特区化も検討してみてはいいんじゃないかと思います。南相馬や相馬にとって、最も近い都市はいわきではなく仙台となった。南へと向いた浜通りという考え方ではなく、北へと向かう浜通りとなった。こう解釈するのが適当なのかもしれません。

宮城県岩手県の差

一方北の方では、宮城県岩手県で復興の度合いに大きな差が出始めているような気がします。
震災被害の大きさはどの地域も変わらず、壊滅的な打撃を等しく受けたわけですから、その回復の度合いは人出の差、予算の差、町の規模の差、大都市からの距離の差が大きく影響しているはずです。
特に仙台から近く、人口も16万人いる石巻市は、各地を見た中では最も復興が早いように見えました。鉄道も動き、港も動き出し、住宅も再び建ち始めている。
唯一の懸念は、果たしてそこにまた住宅を建てていいものかというところ。津波の被害を受けた地域に再び住宅が作られようとしていたわけですが、その安全性はどうなのか。この点は気がかりです。
とはいえ、代替となる土地がないから同じ所に建物が建つわけで、山がちで平野が少ない日本の地形を考えるとしょうがないことではあります。中でも三陸地方はそういう地形なので。
今後は他の地域でも住宅の再建設という節目が来ます。誰がどこにGoを出すのか。縛りをかけるのか。そしてその縛りはどうかけるのか。地震津波という定期的に起こりうる災害の備えと、現実的な選択のバランス。これは本当に悩ましい。住むという選択。離れるという選択。どちらが正しいか、自分はその答えを持ちえません。本当に難しい。

あらゆる不足をどうするのか

道路や橋梁、港湾、除染、治山治水、農地の脱塩、建物の建設。あらゆる工事がまだ終わっていない状態ですし、これからやっとはじまろうかという状況です。お金にしても人手にしてもこれからかかる。
例えばこれからコンクリートが大量に必要になります。橋梁を作るにも、埠頭をかさ上げするにも、護岸工事を行うのも、そして建築物を作るのにもコンクリートが必要です。
しかしこの原材料となる生コンは、運搬時間に限度があります。工場を出荷して、工事現場につくまで生コン車で輸送するわけですが、輸送する間にどんどん劣化します。目安としては、工場出荷から約90分が限度。
ということは、建設現場から半径90分で移動できる距離のどこかに生コン工場が必要になります。当然、輸送するための生コン車も必要ですし、運転手も必要です。
生コンひとつをとってみてもこういう話で、アスファルト合材なんかも生コン同様に施工現場からの距離の限界がありますし、工事に使う重機の確保やそのオペレーター、作業員確保の問題があります。
また重要な点として、そうした人出の宿泊場所という問題もあります。大規模な工事を進めるには、多くの人手が必要になり、その人手を泊める施設が必要になります。それができないのであれば、泊まる必要がない人手=地元の人手で作業員を確保する必要があり、この場合、人口が少ない地域では人手の確保ができなくなり、施工の遅れにつながります。
こと三陸地方の話で言えば、観光客向けの施設はあるものの、ビジネスホテルなどがなく、また宿泊施設があまりない地域は、おしなべて人口も少ない地域で、労働力の確保が難しいと思われます。
復興するためには工事が必要で、工事をするためには人手がいる。人手を集めるためには宿泊施設が必要で、そのためにはまず宿泊施設を作る工事が必要だ。
このような「風が吹けば桶屋が儲かる」的な話のように、意外に必要なものが出てきており、それが不足しているが故の問題も随所に見られる気がします。ひとつ上の次元でのインフラ設備が必要になったということでしょう。

自治体の規模の壁

自治体という行政単位が大きくなった弊害も見受けられます。
市町村合併自治体が大きくなり、予算規模もまた大きくなったのはいいことなのでしょうが、そのことによって自治体内部で方向性が割れるケースがあるようです。
南北に長い自治体では、南北で意見が割れることがあるし、山間部と沿岸部を抱える自治体では、お互いの利害が分かれる。
ことにこの震災からの復興というテーマにおいて、その「復興の仕方」という考え方には何を拠り所にするかの違いが大きくはたらいてきていて、自治体単位というより、集落単位で分かれて来ているような気がします。
このあたり、地方自治の仕組みの問題で、より小規模な単位に権限移譲するかどうかの話でもあるわけですが、それはそれで仕組み的に問題もあり、民主的な決定ができるかどうかの懸念もあります。
震災遺構のあり方でも意見が割れているくらいですから、現実的な利害が絡む今後の復興過程においては、もっとドロドロしたやりとりが行われることが考えられます(もう既にそうなっているという観点は置いておきます)。
一方で、決められるだけ前進だという考え方もあります。決められないという行き詰まりをどう解消するのかもまた地方行政の置かれた現実です。
決めたことによる成功と失敗。何も決めなかったことによるメリットとデメリット。
英断となるか、早計となるか。未必の故意となるか、深謀遠慮となるか。
どっちに転がっても、結果次第。明確な正解がないだけに難しい話です。つか、正解ってなんだろうね。
今回思ったのはこのあたり。また来年もうかがって、実際に見てきたいと思います。時系列で比較を体感できるのが、実際に2年連続で見た人間のメリットだと思うので。