(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

インチキ海南チキンライス

うまそうじゃねえか!

これに刺激されて、オレもやわらか鳥をつくってみましたよ。前にデイリーポータルZでやってたヤツの応用。

インチキ料理でおなじみのオレの調理なんで、誰にでも手軽でいいですよ。しかも同時にスープでご飯も炊いちゃいます。「インチキ海南チキンライス」です。

買ってくるもの

  • 鳥肉

部位はどこでもいいよ。どこの肉でもおいしくつくれます。
個人的にはムネ肉が好き。モモ肉でもジューシーにうまくできるのだけれど、どうせしっとりやわらかく仕上げるのであれば、通常であれば堅くなってしまうムネ肉でやりたいところ。そのほうがこの調理法のありがたみがよくわかる。堅くなるはずのムネ肉が、驚くほどしっとりやわらかにできるので。モモ肉だとそこまでのありがたみがない。煮込んでも比較的ジューシーな部位だしね。
あと安い。ここが一番の魅力。今回オレが買ってきたのはこれ。

100g49円。これで十分です。貧乏人は贅沢しちゃいけません。安い食材でもうまいところに、この調理の利点があるわけでして。

100円均一で売ってます。粒のヤツを。なければいいです。塩でもOK。

あくまで「保温」で

では調理に入りましょ。非常に簡単。


目安は鳥肉150gあたりコンソメ1個計算。

  • 熱湯を注ぐ


同じく目安は鳥肉150gあたり1合の目盛り。今回は鳥肉500gなのでコンソメ3個、3合の目盛りまでお湯を入れました。

  • フタをして保温スイッチオン
  • 放置

以上。あとは待つだけ。1時間を目安にお待ち下さい。
間違っても「炊飯」を押すなよ。普通に煮えるだけだかんね。「保温」でお願いします。

鳥アウト 米イン

  • 炊飯器オープン。


こんな感じ。しっとり鳥肉と、チキンコンソメスープの完成。

  • 鳥肉を外へ
  • 釜に残ったスープに米投下


通常の炊飯時と同様に目盛りを合わせる。あと、濃い味が好きな人は塩少々。オレは薄味好きなので、これで十分うまいのだけど、濃い味好きには物足りないかもしれない。塩をちょっと足すといい。ほんのちょっとね。
尚、スープが余るなら、それは別にキープして、後で飲むといい。実はこの時点でスープとして飲んでも結構うまい。
チンゲン菜などの青菜系があれば、釜に突っ込む。ご飯炊き上がりと同時に、つけあわせもできる。

こんな感じ。手抜きの基本だ。

  • 「炊飯」ボタンを押す

はい終了。あとは炊き上がりを待つのみ。

さあ、仕上げだ

ご飯は炊けたかな? さ、完成させよう。

  • 炊飯器のフタを開け、かき混ぜる


うまくいくと、こんな感じでおこげもできることがある。これはこれでうまい。

  • 鳥肉を切る


見た目がうまそうであれば、食べてもうまいはず。ツマミ食いして確かめてみよう。ツマミ食いは調理者の特権。

  • ドンブリにご飯を盛る

真ん中を山のようにすると盛り付けやすい。

  • 盛り付ける

  • 食べる
  • ウマー

鳥はフルフル。肉ジューシー。いつもは堅いムネ肉が、とっても柔らかくてうまいはず。さあ、召し上がれ!

ワンポイント:手抜きダレをかけてみる

さらにうまく食べるために、簡単にできるオススメダレを紹介しましょう。

  • ベースは焼肉のタレ(エバラでOK)
  • 豆板醤少々
  • ポン酢少々
  • めんつゆ少々
  • ゴマ少々

これを混ぜる。それだけ。全部100円均一で買える。それを肉にかけてみよう。

さらにうまそうになってない? でもこれ、100g49円の肉。100円均一で買った調味料だけでつくったもの。安くて手軽で誰にでもできますよ。特別な調理技術はいらないし、道具も炊飯器だけだしね。かなりお手軽。是非お試しください。

自分であって、自分でない

これ、わかるなあ。自分だけど他人のように思えることって確かにある。

自分が変わったというのの知覚に近いのか、過去の自分が、他人のように感じられるというのがある。
自分が確かに経験した過去なのに、他人のような。
自我の体勢変化というか、意味受容の全体が変わってしまったような。
もうちょっと不気味なこというと、自分の肉体に、すーすーっと精神的なボディが入れ替わったような。

そういえば - finalventの日記

決してオカルト的な話じゃないんですけどね。感覚として同じ自分とは思えないときがある。
例えばオレの場合、このブログがまさにそう。過去の記事にリンクするついでに読み返すことがあるわけですが、まるで人様のブログを見るような感覚で読んでいることがありますよ。書いた人が見てるのにね。書くのも見るのも同じ人なのに。自分で書いたものなのに面白いことあるもの。
「いいこと書いてあるなあ。書いた人の顔が見てえよ……オレやがな」みたいな。
やっぱりこれも静的平衡と言うんですかね。同じ人に見えて同じ人でない。

同じように見えて同じようではない。徒然草で言うところの「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。たかだが10分、20分前の自分ですら過去になっている。新たな知識や感情が取り込まれ、その結果、同じ材料を与えられても違う答えが出てくる。そういうことなんだろうねえ。

聖なる一回性 - (旧姓)タケルンバ卿日記

外見は一緒でも、同じ自己という存在であっても、中身は全然違っている。自己を構成する要素が変わっているので、同じ自分であっても、それは他人のようなもの。入れ物が一緒でも中身が違うのでねえ。不思議なことだけど。
ブログでなくても、日記なんかもそうだよね。5年日記とか10年日記とかでつけていると、同じ人間なのに書き方が変わる変わる。文体も変わってくるし、内容もテンションも変わる。そのときの自分のありのままが出ているってことなんだろうけど、変化の様が露骨。「おいおい、同じ人間だろ」とツッコミたくなるほど。
しかもその変化のきっかけがあるとは限らない。気がつくと変わっている。よくわからんが変わっている。理由もなく変わっている。明確な変異点がない。ある点までは同じモジュールで動いているんだけど、突如バージョンアップする。新モジュールになる。「2.0」になる。不思議だよねえ。何でだろ。断りもなく変わりおって。変えようと思っても変わらないクセにさあ。

逆に、好きだった人を憎んだり、嫌いだったりというのは、同じ人のまま。というか、同じ自分でありたい自分が、憎しみを掴んで離さないのだろう。

聖なる一回性 - (旧姓)タケルンバ卿日記

逆にこういう部分は静的平衡が起きない部分なんでしょうね。「憎い」とか「嫌い」という感情は、あまり他のもので置き換わらない。ある人、あるモノ、ある出来事と関連付けられてインプットされているので、「憎い」は「憎い」で置き換わる。別の感情で上書き保存されにくい。精神的な新陳代謝のスピードが、負の感情の方が遅いのかな。好きな対象にはなるべく近づこうとするので、関連する経験をし、それを体内に取り込むけども、嫌いな対象には近寄らないので、その感情がそれっきりになると。そんな気がしますな。
そう強引に考えていくと、自己を変えるものはポジティブな感情ではないかと。新陳対象がより早い、静的平衡が進みやすいのはポジティブである。新たなポジティブな感情、経験、思考が現在を過去にする。新たなものを受け入れて、新たな自己となる。その結果、人間はひと皮向けて、同じ自分であっても他人の如く変化するんだなあと。そんなことをぼんやり考えてしまいました。ポジティブは変化のための栄養なのかもね。
もっとも、ネガティブな空気を吸いすぎると、さすがにネガティブ方面に変わることも事実。オレは幸いバカポジティブなので、ネガティブ方面には耐性があるからいいんだけど、耐性がないと引きずられるだろうねえ。そういう方はネガティブな空気を吸わないこうとが肝要。タバコにおける嫌煙権といいますかね。「嫌ネガティブ権」でも発動してみるとか。そうするとメンタルヘルス上よろしいかと。日頃の生活がなんだかんだで自分に返ってきますからね。
現在の自分は時の経過に伴って他人になり続けるわけですが、過去の自分を笑って見れるような未来の自分でありたいもんです。

タイトル画像を設定してみたぞ

これまでタイトル画像を設定しておらず、テキストで「タケルンバ卿日記」とただ表示されていたにだが、先ほどそれは殺風景だなあと例によって急に思いいたり、速攻でタイトル画像を作ってみた。
ベースは「タケルンバ卿チャレンジトロフィー」開催時の写真。

この中にいい感じで溶けている写真があった。

これをベースに加工。文字を足してみた次第。
タイトル画像をクリックすると「タケルンバ卿日記」のトップに戻ります。あちこち個別の記事を見たあと、溶けている抜け殻のようなタケルンバ、あるいは散らかっている万札をクリックし、トップに戻っていただけると幸いです。戸田競艇を通じて、日本の船舶振興に貢献した甲斐があるというものです。
これからも「タケルンバ卿日記」をよろしく申し上げます。

「面白い」は止まらない

思い付きとか、勢いとか、気分とかでタケルンバはできています(残りは優しさでできています)。それで毎日を過ごしているせいで、たまに窮地に追い込まれることがありますよ。本人「うっ、ヤベえ」と思う瞬間。いや、瞬間ってもんじゃねえな。八方手詰まりっぽくなって考え込む。むむう、どうしよう。

面白い依頼は全部受ける

これが悪いんだよなあ。面白いものはやってみたくなる。やってみたくなるから受ける。受けまくった結果、ギョエーッ!
でも面白そうだから仕方ない。面白そうと思った時点でオレの負け。同時に面白そうと思わせた時点で依頼者の勝ち。せっかくの面白い依頼、やってみなければ後悔が残る。後先考えずに受けたほうが、後々「あれやっとけばよかったなあ」と後悔するよりマシ。ま、本格的にスケジュールがタイトだと「これ引き受けなきゃよかったなあ」と後悔することもあるけどね。やってみて意外に面白くなかった場合は特に。「なんだよ、つまんねえよ」と。
でもやらないよりはマシ。やらないで後悔よりは、やって後悔。ポジティブ「野となれ山となれ」。

面白い≒笑える

この場合の「面白い」は、何もお笑い的な面白いと限りませんよ。とても広義な面白い。笑える面白さも含まれるけど、話はそこにとどまらない。
英語で言えば「fun」や「funny」だけじゃないのよ。「enjoy」なんかも含まれるし、「interest」もそう。「興味」はかなり重要な面白要素。好奇心を刺激する。やってみたくてたまらない。それもかなり面白。
あとは「challenge」もそうかな。挑戦。
「クックックッ、このオレにそれをやれと。……面白い。受けて立とうではないかぁ! 食らえぃ!」
こういうキャラ的な。意欲掻き立てられる新たな試み。やったことないものは、何でもやってみたくなる性分なので。

面白い≒キツい

また、面白いには「キツい」も含まれます。「busy」や「hard」や「tight」もすべて面白い。まあこれはM性がなせるわけでしてな。キツいのはキツいので、悦楽の材料であるのです。歓喜なのですよ。ぶってぶってと。わしゃ岡山の某姫か。
忙しいのは結構面白いのです。ヒマよりはいいんです。やることがあって充実してるから。またできることをするよりは、できないことをしたほうがいい。できることを何度やったって喜びは少ないですからね。できないことができるようになったほうが嬉しい。何でも初体験はうれしいわけでして。童貞や処女を失っ(以下略)。 

面白い依頼をするヤツも面白い

またそういう依頼を持ってきてくれるヤツがありがたい。数ある人間の中で自分に話を持ってきてくれたことが嬉しいじゃねえですか。あらゆる選択肢の中で、自分を選択してくれたことに感謝。その心意気がファイン。素直にありがとう。
自分のやってみたい願望もさることながら、こういう好意にはなるべく応えたいし、応える自分でありたい。そういうせっかくの依頼、自分がやらなきゃ男が廃る。期待に応えてやるよ。やり遂げるよ。
……え? みんなに断られて仕方なくお前に頼んだだって? それは聞かなかったことにしとく。……あっち行け。

つまらんことが前向き

そうやって依頼をガンガン受けると、にっちもさっちもいかなくなるわけで、フォーリーブスでは誰派? オサーン・オバーンしかわからんか。
ともかく忙しくなる。スケジュールがきつくなる。自由な時間がなくなる。ヘタすりゃせっかくの依頼に穴を開けかねん。でもこうなってこそ発動されるスキルがあるのですよ。「ピンチ○」とか「瀕死攻撃2倍」とか。追い込まれると出るものがある。
何せ面白いことだらけなのですよ。やりたいことだらけ。そうなると、抱えているつまらん雑務をやってられんのです。早くそんな雑務を終えたい。面白いほうの仕事をしたい。そうすると、つまらん仕事に対する取り組みが前向きになる。「宿題を早く終わらせてケーキ食べよう」というごほうび効果と言いますかね。カッチョ良く言えばインセンティブ。動機ができるのですな。つまらん仕事に対する動機。
そうなると仕事に対する意欲が出るし、何とかして早く済ませようと、裏技を見つけようと躍起になる。インチキイノベーションですよ。インチキ革命ですよ。より面白いことをするための、自分なりの工夫をはじめる。それによって効率が上がる。雑務や依頼が早く終わる。時間が生まれる。そうなればさらに新しい依頼を受けられる。面白いことをさらにできる。こういう前向きなサイクルになるような気がしましてな。ごほうび重要。
もっとも、やっと片付けてごほうびにありつこうと思ったら、誰かに食われていてゲンナリということもあるんだけど。「ひでぇや、姉さん(@カツオ)」。

面白いは面白いを呼ぶ

そうやってどんどんやっていくと不思議なもんで、次々と面白い依頼が舞い込んでくる。面白いにはリピート効果があるし、広がりがある。
ある依頼に応えた場合、その人がまた面白い話を持ってきてくれる。あるいは他の人を紹介してきてくれる。人脈が広がる。あるいは、その依頼を達成したことで、自分自身にそうした依頼ができる能力が身につく。自信がつく。
そうなると、面白い話が持ち込まれる確率が上がっていくし、同時に自分が面白いと思えることが増える。面白いという世界の広がり。
こうなって行くと何もかも面白い。つまらないことも、面白いのための通過点と思えば苦にならないし、キツければキツいほどおいしいごほうびにありつける。忙しさの向こう側には楽園が待っている。「面白い」は止まらない。