(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

わかろうとせんからわからんまま

不払いで何かと話題の保険業界でございますが、タケルンバは常々謎に感じていることがあるんですよ。それは学資保険。あれ、どういう意義があるんですかね。
基本的に保険は起きちゃ困ることにかけるもんだと思うわけですよ。死んだら困るから生命保険であり、病気になったら困るから医療保険であり、壊れたら困るから損害保険であると。そのように理解しておるわけですが、だとすると学資保険ってなんだろうと。子どもができたらば、死んでくれない限りは成長し、学校に行く年代になるわけですわねえ、100%。ということは、必ず起こる事態に対しての備えなわけで、それは一体全体どういう意義があるのだろうかと。そこがよくわからんのです。
起きちゃ困ることにかけるという保険の意義から考えると、学資保険ってえのは保険じゃないわけですよねえ。起きちゃ困るどころか、必ずそうなるわけで。一方、学資保険の意義は保険ということではなくて、「いやいやちみちみ、子どもの教育費に対する備えぢゃよ。積み立てみたいなものぢゃよ」というならば、もっと効率的な積み立てをすりゃよろしい気が致します。ETFとか投資信託をシコシコ毎月買っていくとか、個人向け国債を買うとか。この方が投資商品としてのコストは低いし、リターンも高いのでお徳かと。だとするならば、学資保険は保険としてナニであるだけじゃなく、投資商品としてもアレ。となると、どうして存在しているのかがさっぱりわからん。ガッツ石松が言うところの「何故何故ホワイ?」なんである。
結局日本では保険に投資商品の意義を求めすぎるんじゃありませんかねえ。生命保険がその典型ですけど、「死んだらいくら」のシンプル保険でいいはずなのに、何故か貯蓄性を求めてしまう。貯蓄性を求めてしまうから、「死んだらいくら」以外の部分の保険料がかさみ、保険料が高くなり、それでいて一般の投資商品よりリターンが安く、さらには中身が複雑になって不払いが起こると。そんな不毛な構図になっている気がするわけですよ。これは医療保険だって何だって全部一緒。保険商品と投資商品をごっちゃに考えてはいかんのですよ。
もちろん投資がよくわからんし、ややこしいから、フルセットになっちょる保険が便利というニーズがあるのはよくわかる。よくわかるんですが、わからんのに保険に入るから、保険に入ってもわからん。不払いに気付かん。こういう構図もあるのでは。わからんのならわからんなりに、わかる努力をするとか、わかりやすいものを組み合わせるとか、そういう方法をとった方がいい気がしますな。
夫の収入で生計をたててる家庭の場合、夫が死んだり、病気になったりしたら収入がなくなるので、夫に掛け捨ての生命保険と医療保険をかける。プラスアルファ、TOPIX連動のETFとか投資信託を積み立てで買う。こんなんで十分じゃないかと。妻子が病気になっても夫の収入の範囲内なら問題ないわけだし、不幸にして死んだとしても、夫の収入があれば生きて行けますからね。夫からの収入がなくなり、生活が立ち行かなくなるってのが最悪シナリオなわけで、そこさえケアすりゃ十分なのでは。保険と投資を切り離し、過剰保険貧乏にならんようにした方がよろしゅうおまっせ。