(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

我慢強さは発展の敵

先ほどの記事では、Excelで作ったデータをはてな記法に合わせるのに苦労したんですよ、結構。

で、それをTwitterで呟いていたら、皆さんに知恵を拝借。見事なソリューションを教えていただいて、解決したわけなんですが、それがなかったら、ちまちま調整していたわけなんです。じみーに数字の間に"|"を足してたはずなんです。

はてなダイアリーで表組みを作るには、こんな感じになるので。
でもって、意外とオレはこういうちまちました作業が好きだし、飽きずに続けられる体質なので、手作業で何とかしようとしていたわけですが……あれですな、こうした妙な我慢強さって、効率性とか向上心の壁となることがありますな。ややもすると発展の敵と言ってもいい。
結局、我慢できてしまうと、現状を変える必要性を感じなくなるのです。必要性を感じるフィルターが目詰まりしまくる。今のままでいい。変えると何らかの形でランニングコストがかかる。スタイルを変えるストレス、道具を買う費用、それに慣れる時間、慣れない心理負担、変化することへの周りからの理解……。
本当は変えた方がいいのに、変える方の面倒が先に来るから、変えないという選択になってしまう。「リアルな損失は先送り」という投資でもよくありがちなパターン。もっと効率的にやる方法があるし、ラクできるのに気付かない。目先の自分が理解できている手法で解決させてしまう。我慢強い人ほどそうしてしまう。我慢強さって凡庸なのだなあと、自分のことを見て思った。
一方で、天才すぎて困るパターンもある。「弘法筆を選ばず」みたいなケース。名人は道具を選ばない。何を使っても同じ結果を導き出す。しかしそれだと道具が進化しない。名人以外にとってメリットのある筆ができない。字を書く人はみんな弘法大師じゃありませんからな。そういう名人に合わせても、汎用性の高い便利な道具が生まれない。
昔の名ドライバーにジム・クラークって人がいるんですが、この人もこういう人。この人はどんな車でも乗りこなしてしまうため、メカニックに「セッティングが進まない」「マシン開発が進まない」と言われた人なんだけど、世の中はこういう人だらけじゃないので、これだと困る。「乗りやすい車」「運転しやすい車」に改良することが進化なわけで、これをしないと時間をかける意味がない。
凡才でもダメだし、天才でもダメ。「熱意のための発展」でも「怠惰のための努力」でもいい。「良くしたい」「ラクしたい」「時間つくりたい」という必要性が、発展につながるんだなあとぼんやり思った。道具とか手法へのこだわりのなさって、かえってダメね。我慢強さは発展の敵!