タケルンバは天涯孤独なので、誰かに養ってもらおうとか、依存しようなどと考えられないし、期待できない。だからこそ何事も自分自身でケツを拭けるよう、一方では自由勝手に振舞い、一方で自分がコントロールできないことには手を出さないようにしているのだけれど、ここ最近のニュースの中には依存体質が浮き彫りになった話が多く、何だか気味悪いですね。
例えば年金。あんなもん払った方が悪い。で、ついでに言うなら、こういう事態を引き起こしたボンクラ議員を選挙で選んだのが悪い。
こんにゃくゼリー。あんなもんは食べ方の問題。間違った食べ方をすれば事故は起こる。
介護保険。あんなもんは人生設計の問題。老いに対する無策が悪い。コムスンが悪いとかどうだとかいう以前に、コムスンに頼るしかない老後設計をした時点で間違い。
結局全部「自分は悪くない。あいつが悪い」って筋の話。それは違うと思うんだよね。因果をたどれば自分に行き着く面はあるわけで。無責任主義が過ぎると思うのですよ。当事者意識なさすぎ。年金で言えば国を過剰に期待しなきゃ良かったわけで、他の備えをすべきだったわけだし、ボンクラ議員を落とせば良かった。それだけのことなんですよ。やれることがあったのにやらなかった。そういう責任があるわけです。
しかも予測できない話じゃないもんなあ、全部。介護保険の話で言えば「人はいつか老いる」という当たり前の話でしょ。その準備をどれだけしてたかってだけ。それこそ「アリとキリギリス」でして、アリのようにきちんと準備するも良し、キリギリスの如く遊ぶも良し。選択は自由だった。そして冬が来て、その報いが来たときにキリギリスが騒ぎ出している。これだけのことでしょ。これで税金を投入してキリギリスを助けましょうというのは、冬に備えて準備してきたアリにとってはスゲエ不平等だと思いますけどねえ。「だったら前々から準備しとけよ」というわけで。不作為の責任は自分自身にあるはずですけどね。
「期待はしてもアテにはするな」をタケルンバは信条にしておりますが、こうした考え方でしっかり自立しないと、何かと依存する体質になるような。してもらう人ではなく、してあげる人になった方が前向きでいいような気がしますよ。古舘的傍観者になったらおしまいです。