(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

島倉千代子をパチンコ台にする意義って何ですか?

「1円パチンコ」なるものが増えているのは知ってたんですけど、意外と増えているもんなんですな。日刊スポーツによると、北海道で流行っているとのこと。

ま、個人的にはいいことだと思いますがね。最近の機種は当たり外れのギャンブル性が高くて、ついて行けませんもの。当たればでかいけど、当たらなければ金が溶けるようになくなっていきますからなあ。オレのような昭和のパチンコ打ちは、最近の機種はようわからん。「CR島倉千代子」の良さって何?
とはいえ、1玉4円が1円になったとことで、機種が遊べる台でなければ意味がないことも事実。結局これは高いギャンブル性からゲーム性の回帰現象なわけで、ボチボチ小当たりがあり、増えたり減ったりを繰り返して長く遊べる台じゃないと、本質的な意味を伴わない気がしますな。突然死が緩やかな死に変わるだけという。それだけの違い。
そういう意味では羽根モノに復権して欲しいっす。ゲーム性という観点では、権利モノより羽根モノ。「7が揃った」というカタルシスと麻薬性にはかなわんものの、パチンコの不条理なゲーム性は羽根モノにあると思うんだよね。折角「2」に入ったのに、そういうときに限って玉が真ん中寄らねえとか。たまたま1個だけ入ったヤツがVゾーンとか。そういう楽しみ方もかつてあったのでは。
そんなわけで、1円パチンコという新たな試みは認めるものの、成否は1円パチンコ向きの台開発にある気がしますな。オレはまた「ビッグシューター」がやりたい。あの宇宙飛行士の腕を潜り抜け、Vゾーンに玉を放り込みたい。それが昭和のパチンカーの叫びでござんすよ。ギャンブルとゲームの二層分化の流れに期待。