(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

見えないものは信じない

「悪貨は良貨を駆逐する」ですね。

仮に良心的な生産者がいて安全性の高い食品や医薬品を生産していても、買い手は市場にあるのは安全性の低い食品や医薬品ばかりだと考えますから、その生産者を信用せずに低い価格をつけるでしょう。安全性の高い食品や医薬品は生産コストも高いですから、高い価格で買ってもらえない良心的な生産者は利益を得られず、市場で負けてしまうことになります。

そういう面はあります。またそう考えているので、すべからず信用してません。どんな美辞麗句があろうと、どんな会社がつくっていようと、同じ扱い。どれも一緒だと考えているので、自然と同じ値になる。いくらちゃんとつくっていても同じなので、つくりかたも一緒になる。こういう負のスパイラルは確かにありますわね。国内にブランドがない。ブランドが成立し得ない。それが中国の現状。
ただここに付け加えさせてもらうと、中国の国民性も影響しているんだよね。唯物論的な側面。彼らは目に見えるものしか信用しない。自分で見たものしか信用しない。リアルなものが全て。見てないもの、バーチャルなものは一切信用しない性質がある。
これは市場に行けばわかるんだけど、市場には加工食品がほとんどない。魚は魚のまま、肉は肉のまま、野菜は野菜のまま置いてある。そして魚の切り身が欲しい場合は、目の前でぶつ切りにしてもらう。豪快に中華包丁でダンダンダンと。肉も野菜もそう。切り身の状態では置いてない。生のまま、丸のままが普通。理由は簡単で、切っているのを見ないと信用できないから。魚であったものを目の前で切り身にしないと、それが魚の切り身であると思わない。そのくらい疑っているし、信用していない。
つまり彼らはブランドみたいなものを信じていない。付加価値を信用してないんです。大事なことは、それが本当に魚であるか、肉であるか、野菜であるか。唯物論的であり、本質論的なんですよ。伝聞情報は意味をなさない。目の前で見たものだけがリアル。見えないものは信用しない。
ちなみにそんな彼らでも日本産のものは信用してます。何故なら、日本のものは生食でも大丈夫だということを知ったから。これは寿司の効果で、寿司を通して彼らは日本産のものを生で食べるようになった。その結果、日本産のものは大丈夫だと理解したので信用してます。あくまで実体験というリアルを通して判断するのは彼ららしい。
とはいえ、完全には信用してないんだけど。せっかく買ってきた松阪牛を、彼らは水洗いしてから食べてたりします。食材用の洗剤で洗ったり、食材用のオゾン洗浄機みたいなヤツを使ったりしてます。彼らにとっては肉は洗ってから食うものなのでね。このあたりも洗わずに食べてみて大丈夫だとなりゃ変わるところなんでしょうけど。「肉を洗う」というのは日本人から見ると革命的な行動に見えて面白い。