(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

小料理屋のオヤジ

これはなかなか本質を突いてますね。

この6つの理由がこれ。

1)書く事は読むことから始まる
2)読めば読むほど味がわかるようになる
3)人それぞれの味付け
4)まずい情報もあれば、美味しい情報もある
5)一日に食べる量は一定
6)ただのリンク集的ブログでも、シェフの腕が試される

ブロガーの記事は、食事と一緒である6つの理由*ホームページを作る人のネタ帳

これは表現活動全般に言えることかもしれませんなあ。何かの刺激を得て、何かの作品を生み出す。ブロガーをシェフとたとえ、刺激を読むことで得られるのもなるほどなあと。

オレも似た意見なので、妙に納得。
また、そういう視点でこの記事を見ると、また別の味わい方がある。

「これに関する意見であれば私の右に出る者はいない」という「コアコンピタンス」が一つ欲しいところではあります。

404 Blog Not Found:良いブロガーの見分け方x10

シェフとして得意分野があると、どんな食材でもその分野に持っていくことができる。和食であれフレンチであれ中華であれ、シェフとしてのスタイルが確立されているのは強みになる。中華のシェフだと、どんな食材を調理するにしても「とりあえず高温で揚げて、酢を効かせたタレで食っとけ」くらいで十分うまくなりますからね。政治に詳しい人は、どんな話題でも政治に持っていける。スポーツが詳しければ、スポーツの側面から政治を語ることもできる。コアコンピタンスがあるというのは確かに有利。
ただ「無くても問題ねえ」ということも真実。「何でも屋」でもOK。ベースとなるスタイルを確立し、その立場で調理する方法もあるけども、融通無碍に食材に合わせた調理法で仕上げるやり方もある。
ただ、何でも屋の方がレベルは上がりづらいというデメリットはあるかな。スキルが分散する分、どれだ得意分野かわからないので、ややもすると「どれも得意じゃない」ということになりかねない。何でも屋といえども多少の絞りは必要かなあと。「和食でもフレンチでも中華でもないが、焼きなら任せろ」とか「魚ならオレだ」みたいな。「政治でも経済でもスポーツでもくだらない目線で書く」というかね。そういうのがあるといいんじゃないかと。
ま、そういう自分のブログはっちゅうと、よくよく考えればわけのわかんないことになっております。一体何のブログなんですかねえ。自分でもわからん。パターンもあるようでないしねえ。文体も内容も一貫性がないし。このあたり適当さ大爆発。
都合よく言えばセレクトショップのような感じかなあと。「タケルンバの店」というか。とりあえずタケルンバが選んだものが売ってあると。服だか本だか雑貨だかよくわからんけど。「ここは何屋なんだ?」と。たまに家とか売ってるし。なんだここ? これ売り物か?
メシ屋で言えば小料理屋ですかね。その日にあがった食材に合わせてタケルンバが作ると。スタイルなし。食材にも決まりなし。何が出るか解らない。うまいかどうかもわからない。この先どうなるかもわからない、そういう謎の小料理屋。前菜からいきなりプリン。シメに豚の角煮。「デタラメだけど、たまにうまいもの出すんだよなあ、あの店」なんて思われればありがたい。
今後も小料理屋のオヤジとしてやっていきますが、今後も何を出すかわかりません。お口に合いますでしょうか。お口に合いましたら、またお越し下さい。