(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

短気を防ぐセルフルール

もしかしてバレバレかもしれませんし、うまいことごまかせているかもしれませんが、タケルンバはかなり短気です。怒りっぽいし、すぐ切れる、今どきなナウなヤングでありバッチグーでフィーバーフィーバーで切れてみそ。死語だらけ。
とはいえ、性格そのままにしょっちゅう短気を起こしては日常生活があまりに難儀。「短気は損気」というのがタケルンバ家の家訓でもあったし、冷静に振り返ると確かに損している場面が多くある。ううむこりゃいかんと中学生のときに導入したセルフルールがこれ。

切れるのは1年に3回まで

数値目標導入。回数制限。ニトロは1レース3回まで。
これを導入して以来、切れる回数は劇的に減りました。今では年に1回切れるかどうかですよ。温厚になったもんです。これを導入してみると、結構効果がありまして。

切れる場面かどうか立ち止まれるようになった

何せ回数制限があります。年に3回まで。ということは、その1回1回が貴重なのです。大事な権利。そう考えると、おいそれとは切れられなくなる。脊髄反射的にぶっちぎれるパターンはともかく、少しむかつくくらいだと、「これは切れていい場面か?」と自問自答するようになったのですよ。立ち止まって考えるようになった。これは権利を使う価値があるかを考えるようになった。
となると、比較的どうでもいい場面では切れなくなったのです。セルフコントロールができるようになったといいますかね。「やめとけ、これはもったいない」と、抑えをかけられるようになった。
で、こうなってくると、脊髄反射や瞬間沸騰以外の怒りで切れることがなくなるんですよ。1回立ち止まって「ん? これは切れるべきか?」と考えて、「これは切れるべきだ」となったとしても、そこで1回冷静になっているもんだから、爆発できなくなるわけですよ。噴火が一度停止しているので。ちょっとクールダウンしている。その分、怒りパワーは弱まるわけですな。

気が楽になった

「怒っちゃダメだ」「切れちゃダメだ」と思うと気が重いのです。自分にタガをはめると、そこからの解放欲求ができてしまう。ダメと言われるとやりたくなるもんだし、してはいけないと思うと、そこにストレスを感じてしまう。
でも、それを「3回までならいいよ」としてあげると、ふっと気が楽になる。もちろん3回という制限がかかっているわけで、自由ではないんだけども、「いざというときは切れて良し」という逃げ道ができることで楽になるんですよ。精神的に追い込まれない。
ま、単なる気のもちようなんだけど、こういうのがあるかどうかで余裕が違うんだよね。結局は切れないためのセルフルールなわけだけど、「切れてはいけない」という禁止より、「3回まで」という回数制限の方が前向きじゃないですか。

怒るのがバカらしくなった

で、最終的には、こういうルールをつくってまで怒るをやめるって何なんだろうと。そんなに切れてどうすんのと。そういう怒りとか切れへの懐疑が出てきます。「何やってんだか」と。バカバカしくなるんです、なにもかも。「3回まで」とかってルール決めちゃってと。
そうなるとしめたもの。怒ることがバカバカしくなります。切れるのがアホらしい。3回までって決めたけど、別に1回も切れる必要ないねと。そういう心境になってくるのですよ。同じ人間とは思えないほどに大人しくなる。「切れるのは3回まで」みたいなルールが必要だった頃の自分が遠く感じるわけですな。
そうなると毎日が温厚に過ごせます。少々のことでは怒らない。怒るほどのことでなければスルー。何事もなく黙殺。
また、元々短気であり、怒ることに関しては手馴れたものなので、「怒ってみせたほうがいい」という場面では切れた演技をすればOK。長年短気なので、演技力は折り紙つき。伊達に切れやすい性格ではありません。切れてる姿の方が地なので。
しかも本当は短気なのに、日頃短気である姿を見せてないので、通常よりびびってもらえる特典つき。しょっちゅう切れてたらありがたみがないことでしょうに。珍しいからこそのレアカード扱い。素の姿を出しただけなのにね。レア扱いしてもらえるなんてありがたい。
ま、脊髄反射とか瞬間沸騰パターンはどうしようもないですけどね。考える間もなく反応するのが脊髄反射であり、瞬間沸騰なので。それはしょうがないとして、それ以外のパターンは、このセルフルールで低減することができます。
短気でお悩みの方、是非どうぞ。