(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

体ひとつが財産です

タケルンバは身軽です。どこにでも行けるし、どこにでも染まれるし、どこにでも住めるし働けます。地球上どこでも「住めば都システム」を発動できます。

モノにこだわりがない

モノに執着がないんですよね。どうでもいい。服もそうだし、家電にも興味ないし、車を買ったこともない。大きな買い物ってパソコンくらいだもんな。でもDELLで10万円程度のもんだし。
なので、そもそもモノを持っていないんです。はやりの「持たざる経営」ですよ。……違うな。

モノに縛られない

逆に言うとモノに縛られてません。モノにこだわりがないから捨てられる。自分の都合でモノを使える。モノの都合に自分を合わせなくていい。
なので住まいは最悪寝れる環境さえあればいい。広くなくて結構。モノがありませんので。常に身ひとつ。自分を縛るものなんて何もありません。

モノより機動性

それにモノはあんまり財産ではないと思うんですよ。大したもんじゃない。捨てられるし、買いなおせる。その程度。ま、大した財産を持ってないからこう言えるんだけど、大した財産がないからこそ、こういう機動性を大事にしたいんだよね。弱者の戦術というか。持たざる者のメリットだからね。持ってないからこそ失うことがない。
持ってると失うリスクが出ますから、おいそれと捨てられなくなる。ま、それこそが強者の強みなわけだけど、それを弱者がやってもしょうがないからねえ。大したものをもってないんだからこだわっても仕方ねえやと。二度と買えないならともかく、また買えるものにこだわっても仕方ないなあと。

モノに対する欲の割り切り

もちろんオレだってモノにたいする執着がまったくないわけじゃないですよ。モノは欲しい。いくらでも欲しい。また捨てたくない。なるべく持ってたい。そう思ってますよ。エロ本やエロDVDは捨てたくありません。断固引っ越し先にも持って行きたいところです。エロだけかよ。
ただ、そういう欲を捨てたほうがより自由になれるんです。モノに縛られないほうが選択肢が増えるじゃないですか。今の住居じゃなくてもいい。引っ越しできる。まして部屋も大きくある必要がなければ、引っ越し先の選択肢も増える。
モノがなければ男ひとり6畳1間で十分ですからねえ。それで何の問題もない。モノがあるからスペースが必要になる。欲があるからモノが捨てられないし、モノが増える一方なので部屋を大きくする必要が出てくる。
本好きとしては、本が典型例。ありゃ場所をとる。かなりとる。折りたたみコンテナで倉庫のように保管してますが、これにしても限界があるのでねえ。であれば捨てるほかない。持ってたいけどしょうがない。悩ましいけど仕方ない。そこが欲に対する割り切りなのですな。

必要なモノはダンボール1こ程度

どうしても必要なもの、捨てられないものを集めると、結局はダンボール1こくらいなんだよね。昔から、ガキの時分から。大好きなオモチャを集めてもダンボール1こ。その感覚が抜け切っていないものでして。本当に必要なものはダンボール1こ。それを宅配便で新居に送り、あとは自分が移動すれば最低限の引っ越しは完了。そんな程度。本当に集約すれば、吟味すればそんなもんじゃないかなあ。捨てようと思って捨てられないモノって、実はそんなないでしょ。

財産は身ひとつ

財産は自分自身ですよ。ここに凝縮されている。なので、身ひとつで移動することで、それは何よりの財産移動。体ひとつで十分な引っ越しなんですよ。代えがきかないものなので。買いなおせないものなので。
移動して腰を落ち着けてしまえば、あとはその財産であるところの自分自身が色々と考えるだろうしね。そこで必要となったらモノを買えばいいし。必要かどうかわかる前に家財道具一式民族大移動だと引っ越し代もバカになりませんからね。
……ま、特に財産もない男独り身の気楽さなんですが、そこが現在のタケルンバの売り。根無し草のメリットであり、風来坊の良さ。体ひとつでどこへでも移動。仕事を終えて旅に出る。旅から旅へ渡り歩き、各所で任務を果たしますと。これができるのも物欲があまりないおかげであります。財産がないおかげであります。自分を縛るものは常識や思い込みや欲だと思っているんでね。気にしないと気が楽です。守るものもないし、勝ち取る必要もないしね。
嗚呼タケルンバ、明日はどこへ流れ行く。