(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

ポッチャリ共和国の憂鬱

亡国の憂鬱である。世も末である。実に嘆かわしい。こんなものが大衆の中で読まれているようである。「痩せたらもっとカワイくなると思う有名人ランキング」なるものが出回っているようだ。

痩せたらもっとカワイくなる?
否! それは虚構である。見果てぬ夢であり、非現実的妄想。断じてありえん。
柳原可奈子に関しては「ポッチャリの向こう側」のブーデー帝国の住民である。ブーデー帝国民が痩せて変わるべくもない。
まして、ポッチャリ山を越えた人間が、再びポッチャリ共和国の地を踏むことは稀である。未踏ルートと言わないまでも、なかなかの断崖絶壁が続く。
ポッチャリ山の形状はポッチャリ共和国側からは登りやすく、登山が容易であり、登山用具も特に必要としない。しかしブーデー帝国からは絶壁を極める。登山する者をブーデー北壁が阻む。ブーデー北壁は頂点部分がブーデー帝国側にオーバーハングしている。足場を確保できないので、登りきるにはかなりの力量を必要とする。ポッチャリ共和国側からであれば、その下に降り積もる雪めがけてジャンプすればいいだけなのに。
そのような地形条件もあって、一度ブーデー帝国入りしたものが、ポッチャリ共和国に戻る例はまことに少ない。残念なことに一方通行である。実に遺憾であり、悲しむべきことである。
また松下由樹に至っては謎の非緩衝地帯であるデカ公国の民である。デカ公国に関しては先日も記したばかりだ。

彼奴の場合、事態はまた厄介である。何せ太るとか痩せるとかの価値観にこだわる民ではない。でかいかどうかなのである。「Big or Small」なのである。「Fat or Lean」の価値観ではないところが厄介である。一体彼奴らは何を考えておるのだろう。よくわからぬ。
そして問題は深田恭子大将軍だ。誰が何と言おうとポッチャリ共和国を代表する人物である。ポッチャリ共和国きっての名将であり、長年の功績が認められ、つい先日も「ポッチャリ旭日大勲章」を授与されたばかりである。
その将軍に向かって「痩せたら」とは? 「痩せたらもっとかわいい」だと?
無礼者! ポッチャリだから良いのだ。ポッチャリだからこそかわいいのだ。将軍の武器はポッチャリであることに他ならない。ポッチャリへの忠誠心こそが将軍を将軍たらしめるのである。いわば「ポッチャリ大将軍」である。その将軍からポッチャリを奪ってどうするのだ。何も残らぬではないか。
そもそも痩せるとかわいいという発想が、我がポッチャリ共和国の敵と断ぜざるをを得ない。痩せるとかわいいのではない。ポッチャリだからかわいいのである。熊田曜子を見よ。無理にダイエット山脈を渡り、スレンダー大帝のもとに行ったばっかりに、本来の魅力を失ったではないか。
また昭和人は宮沢りえを思い出すとよい。「Santa Fe」の姿があれだけ麗しかった彼女も、ダイエット山脈を渡った直後は光を失ったではないか。痩せてもいいことないのだ。無理なダイエットは骨粗しょう症の原因ともなる。骨に悪影響が出る。痩せるべきではない。痩せてはならん。プッチーニのオペラ「トゥーランドット」にも「誰も痩せてはならぬ」とうたわれておるのだ。
ポッチャリ共和国を代表し、あえて言おう。「むしろ太れと」。ブーデー帝国の領地にかかるギリギリまで進出するのが国益にかなう行為である。そういう意味で深田恭子大将軍の偉業は褒め称えられるべきである。ギリギリでブーデー帝国入りしない、ギリギリいっぱいで踏みとどまっておる。実に見事な体重調整術と慨嘆せざるをえない。
しかしそれにしても森三中の黒沢かずこよ。そなたは今、どこに向かっておるのだ。同士の2人はブーデー帝国民となり、婚礼を挙げた由。そなたは今、我が国民からもブーデー帝国民との嫌疑をかけられておる。ダブルスパイ説も流布されておる。そなたはどちらなのだ。ポッチャリ共和国民なのか。いや、ブーデー帝国民なのか。卿はそれが目下気がかりである。
ほんのちょっとだけ痩せるとよい。ほんのちょっとでよい。さすればポッチャリ共和国は再びそなたを同士として迎え入れよう。ポッチャリ共和国は寛大な国である。ブーデー北壁を命からがら抜けてきた者をあたたかく迎え入れよう。もちろんダイエット山脈越えに失敗。リバウンドとともに帰国した者も同様である。我が民族ポチャール人は温厚なのだ。いつでも帰ってくるとよい。ポッチャリに栄光あれ。
タケルンバ卿記す)