超訳すると「弁護団がDQNなので死刑にします」とも読めるなあ。昨日の光市母子殺人事件判決。
第1審判決および差し戻し前控訴審判決はいずれも、犯行時少年であった被告人の可塑性に期待し、その改善更生を願ったものであるとみることができる。ところが、被告人はその期待を裏切り、差し戻し前控訴審判決の言い渡しから上告審での公判期日指定までの約3年9カ月間、反省を深めることなく年月を送り、その後は本件公訴事実について取り調べずみの証拠と整合するように虚偽の供述を構築し、それを法廷で述べることに精力を費やしたものである。これらの虚偽の弁解は、被告人において考え出したものとみるほかないところ、そのこと自体、被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080422/trl0804222107049-n4.htm
現時点では、被告人は反省心を欠いているというほかない。そして、自分の犯した罪の深刻さに向き合って内省を深めることが、改善更生するための出発点となるのであるから、被告人が当審公判で虚偽の弁解を弄したことは改善更生の可能性を皆無にするものではないとしても、これを大きく減殺する事情といわなければならない。
この論理構成をまとめると、こういうことになる。
こういうことだよね。死刑を避けた理由である更生可能性がなくなった。であれば死刑を避けることもないと。
第1審・第2審のときの被告→→→→超えられない壁→→→→現在の被告
前の方がマシだった。まだ更生する可能性もあったし、そこにかける余地もなった。しかし、今はそれがない。ないどころか、むしろ悪い。だから死刑。
ということは、被告の立場になって考えると、前の弁護団の方がはるかにグッジョブだったことになる。何せ無期懲役。考えうる結果の中では、上出来な部類。罪状を認めたことも、形式的ながら反省したそぶりをみせたことも、判決上は正解だったことになる。
ところが、それをくつがえしたばっかりに死刑。「ドラえもん」とか儀式のくだりは完全無視。事件の事実認定の部分では、これまでの裁判の展開とほぼ変わっていないし、むしろ新たな証言を出したことで、無期懲役になる理由を消したことになる。
あれだけの弁護団を組織して、あれだけの不思議陳述を繰り返して死刑。それも主張完全スルーだし、むしろ主張が逆効果になっての死刑。裁判所が「弁護団バーカ」と言っていると曲解できちゃう判決文ですよ、これ。
ま、これまでの流れ上、事実認定はもはや変わらないし、最高裁が無期懲役を差し戻した以上は、無期懲役以外を選ぶという意図があるわけで、このまま死刑になるかと思うわけですが、この最後の悪あがきの後味の悪さはなんなんだろうなあと。あがけばあがくほど逆効果。弁護団としては究極のバッジョブ。クライアントが最高刑を食らうわけでねえ。なんだったんだ、君たち。
ヘタに突っ張ったばかりに死刑という結末。欲張ると損するという見本でした。