(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

そろそろ秋葉原の事件について語ってみるか

亡くなられた方のご冥福をお祈りします。そして被害者の方々、遺族の方々すべてにお悔やみを申し上げます。
その上で、この事件について書いてみたいわけだけど、この事件についての話は論点が入り組んでいる。細かく話を分けた方がいいと思うので、論点ごとに書いていくことにします。

サバイバルナイフの規制

賛成。だって、実質的な模造刀だし、美術品とかの日本刀と同じでしょ。殺傷能力のある刀剣類なわけでねえ。家庭用の包丁とかとは違う。元々人を殺すための武器だし、それを真似てつくられているわけだから、実質上は日本刀と一緒。日本刀と同様の販売規制・所持規制があってしかるべき。

包丁などの刃物の規制

反対。「刃物全般が危ないんだから規制すべき」という話には乗れない。サバイバルナイフと包丁などの一般的な刃物は違う。つくられた目的が違う。
包丁は元々食材を切るためのもの。サバイバルナイフは人間を斬るためのもの。「刃物は刃物だ」という意見は理がありそうだけど、目的が違う刃物を一緒くたにはできない。どんなものでも凶器になりうる。凶器になるかどうかは使い方で決まる。
サバイバルナイフは人を殺す道具としてつくられ、そうした使い方に向く刃物。凶器としての刃物であるわけで、包丁などの刃物とは明確に違う。サバイバルナイフなどの規制と、包丁などの一般的な刃物の規制は全然レベルの違う話じゃないかねえ。

秋葉原歩行者天国の中止

反対。意味がない。犯人は人が多く集まるところを狙うのであって、秋葉原で事件を起こすことが目的だったわけじゃない。秋葉原歩行者天国をなくせば、秋葉原でこういう事件が起こることはなくなるだろうけど、秋葉原に集まっていた人は他に集まる。他の場所が混雑する。今度はそこが狙われるようになるだけ。銀座か、お台場か、丸の内か。地名に意味はないですよ、まったく。
必要なことは、集まる人間の数に応じた警備体制。犯罪を起こすような輩は一定の割合でいる。少ない割合ながらも、ゼロではない。である以上、人間が多く集まるところでは、こういう事件が起きる確率もそれに伴って高くなる。田舎町よりも都会の雑踏の方が事件の発生率が高い。それは人手が多いからという単純な理由じゃないかね。
である以上は人出に応じた警備をやるしかない。事件が起きたから歩行者天国中止じゃ何も解決しない。人が集まるところで犯罪を抑止する警備体制の方が重要。

犯罪が発生した背景を探る

本質的に意味がない。何故なら、どんな事情や背景があろうが、こういう事件を起こした時点で同情の余地ナシ。意味や理由、事情や背景を知ったところで事件を起こしたことが許されるわけじゃない。犯人にどんな不幸があろうがしったこっちゃない。こういう事件を起こした時点でアウト。
学校での生活風景、職場での行動。知ったところでどうなるもんじゃない。「恐るべきバカが出現した」というだけ。背景を探ってもしょうがない。さっさと罪を償わせた方がいい。もちろん死刑で。
ま、学問的な研究としては意味があるかもしれないけど、一般的な情報は意味がないよ。それこそ犯人に対するヤジウマ興味でしかないな。

被害者の背景を探る

こういう事件があるたび思うんだけど、被害者の実名報道って意味があるのかね? ご遺族が望んでいるならまだわかるけど。実名で報道すべきは加害者であって、被害者じゃないと常々思っているんだよな。被害者を実名で伝えることに、どれだけの報道メリットがあるんだろう。……意味がわからない。
犯人はどんな背景があろうが、人を殺した時点で極上のクソッタレ。その一方、被害者はどんな背景があろうが、命を落とした時点で痛ましい話。性別・年齢・属性は関係ないんだよな。人が亡くなったって時点で悲しい話なんですよ。細かい事情はどうだっていいんだよ。背景で命の重みが変わるわけじゃないんだよ。遺族が友人が何を言おうと言うまいと、こういう事件の被害者になることは不幸な話なんだよ。
なのでオレはこの事件の背景とか、加害者・被害者の情報には一切興味がない。犯人はさっさと死刑になればいいのにと思っているし、不幸にして亡くなられた方々には心より哀悼の意を表するのみ。それしかできない。

現代の若者は危ないのか?

そんなことは言えない。各種犯罪統計を見てもそういうことは言えない。むしろ、若者の犯罪は減少傾向にあるくらい。1件の凶悪な事件をもって、時代や世代をまとめることはできない。それは乱暴な議論。
ワーキングプアとかの現代の貧困や病理に話が展開されがちだけども、そうやって強引に理由をつくるから本質が見えなくなる。もし本当に現代の世相に問題があるなら、こういう事件がもっと起きてるはず。つまり若者の問題じゃない。ごくごく限定的なレアケースと考えるべき話。

日本は大丈夫か?

大丈夫。こういう事件は確率論。一定の確率でこういう大バカ野郎が出現する。それだけだ。もちろんこういう大バカ野郎に殺されてしまった方々は浮かばれない。浮かばれないが、こういう不条理があるということも現実。今、こうしてブログを打ち込んでいる自分でさえ、次の瞬間には心臓麻痺や、クモ膜下出血で死ぬかもしれない。暴漢に侵入されて殺されるかもしれない。人の命にはこういう不条理がつきもの。
しかし社会ではこういう不条理の中で生きていかないといけない。不条理や狂気と同居する形で社会が成り立っている面がある。しかしこういう事件が衝撃をもってとらえられ、恐れたり怯えたり、真剣に議論されているうちは日本はまとも。「まとも」が支配している社会である証明。だから大丈夫なのだと思う。大丈夫であると信じている。

今後の対策は?

サバイバルナイフの規制と、人が多数集まるところへのパトロール強化くらいじゃないかな。それ以外は意味がない。効果がない。
こういう事件があると、それに関するものを何でも規制しようとする。ネットがダメとか、秋葉原がダメとか。でもそれは意味がない。ネットがダメなら他のことをするだろうし、秋葉原がダメなら他の場所を狙う。本質的な意味がない。効果がない。
こういう事件によって規制が生まれることを、オレはこう呼んでいる。

バカがルールをつくる。

あるバカがしでかした愚かな行動によってルールがつくられる。愚かな行動を防ぐためのルールがつくられる。しかしそのルールの対象になるのは、大多数のまともな人。規制の被害を受けるのは一般人。そしてバカはバカなので、さらに愚かなことをする。またルールをつくる。まともな人はさらに行動を制限される。バカがルールをつくる。まともな人はバカのルールの中で生きていく破目になる。
なので、こういうときに必要なのは「バカにルールを合わせない」ということ。そういう強い意思が必要。バカに合わせれば秋葉原歩行者天国やめましょう、刃物の販売やめましょう、レンタカーの使用を厳しくしましょう。こんな感じになる。でも、それをやったら大多数のまともな人が被害を受ける。大多数がつまらん思いをする。でも新たなバカはどうせ出現する。他の手法をとって出現する。そうした場合、前のルールは残り、新たなルールがつくられる。バカスパイラル。ルールがルールを呼ぶ。規制が規制を呼ぶ。こういうことには意味がないと思うんだよね。
なのでサバイバルナイフなんかの凶器の所持に制限を加えるのは意味はあると思うけど、これ以外の雑多な対策は意味がないと思う。人殺しは出現する。それを完璧に防ぐ方法はない。であれば、それが起きたときに如何に被害を減らすかという点に頭を使った方がいい。どんなものでも使いようによっては凶器になりうる。銃の方がナイフより危ない。サバイバルナイフの方が一般の刃物より危ない。なので、こういうものが所持可能な世の中よりは、所持禁止の方が安全。いざ人を殺そうと思ったときに、それが手に入る環境であるかどうかは事件の規模の大小に大きく関わる。
警察のパトロール強化なんかもそうだよね。人が多く集める場所では、それだけこういうバカが出現する率が高まる。そしてこういう事件を完全には防げないものの、初動のスピード、レスポンスの早さで被害を抑える効果があるとは思う。また犯罪をやりにくくする、起こしにくくするということで、心理的な抑止効果もあるだろうし。交番はそういう意味で有効だと思うしなあ。警官の人形ですら防犯効果があるわけでね。
なので、こういうラインでの規制とか取り組みはアリ。でも、それ以外の規制は意味がないと思うんだよな。本質的な意味を伴わない。どうせ代替物を見つける。代替方法見つけ出す。その代替がまるっきり本質的に同じならば、規制しても効果がない。秋葉原がダメだからお台場。こういうのは意味がない。でもサバイバルナイフがダメだから包丁。まだ意味がある。殺傷能力が下がる。一定の意義はある。規制を考えるならこういう思考が必要じゃないかな。
で、本当はオレは報道にこういうところを求めたいんだよな。事件の裏側とかじゃなくてさ。今後の対策としての方向性とか、効果の検証とか。事件の事実は知らせるべきだし、どういう出来事があったかは知ったほうがいいけど、その背景は意味がない。背景よりも、今後どうするべきなのか。そしてその対策は意味があるのかってところに議論の比重を移した方がいいと考えるわけで。
個人的には「住みやすい社会」ってのは「バカなことをしでかさないように規制する社会」じゃなくて、「バカなことをしでかすヤツがいたとしても安全な社会」だと思う。そのためにはどうするかって建設的な議論をしたいし、そういう話を聞きたいな。また、そういう情報をマスコミは報道して欲しい。加害者・被害者の氏・素性を暴くことが事件報道のあり方とは思えんよ。
いずれにしても、痛ましい事件であったことは事実。繰り返し哀悼の意を表します。どうぞ安らかに。

追記(2008/06/10 23:00)

b:id:torinさんのツッコミで、今回の凶器がサバイバルナイフではなく、ダガーナイフであることを知る。当初の報道ではサバイバルナイフだったけど、実際使われたのはダガーナイフだった模様。

東京・秋葉原の通り魔事件で使われた凶器は、野外で日常用具として使われる片刃のサバイバルナイフでなく、武器として設計された両刃のダガーナイフ(短剣、刃渡り13センチ)だった。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080610k0000m040088000c.html

ただ、ダガーナイフだったとしても、オレは規制に賛成。

武器として設計された両刃のダガーナイフ

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080610k0000m040088000c.html

武器として設計されてますからね。一般的な刃物とそこが決定的に違う。少なくても未成年への販売は禁止されていいし、購入・所持するときには申請を必要にするくらいの制限はあっていいと思う。武器だから。人を傷つけるための道具だからね。