(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

いいサービスこそお金をとるべき

おごちゃん宅での会話から記事をひとつ。その話というのは、Webサービスは、もっときっちりお金をとってもいいよねってこと。何故その話が出たかというと、きっかけは料理写真を携帯百景にあげていたら、写真の下にアフィリエイトが貼ってあった。で、こういうのはむしろどんどんやって、作者は稼いだ方がいいし、儲けた方がいいんじゃないかなという話の展開になったわけ。
自分なんかもそうだし、皆さんもそうだと思うけど、日常的にいろいろなサービスを使っている。そしてその中には、個人が提供しているサービスがある。携帯百景もそう。kimzoさんが提供している。

あるいは、先日の全国オフ巡りの移動中、メチャメチャお世話になったモバツイッターもf-shinさんが提供している。

で、こういうサービスはもはやないと困っちゃうのだ。なくなると困る。あることを前提にしている、あるのが当たり前になっている部分がかなりあるので、なくなるとダメージがでかい。それだけ便利だし、それだけ日常的に使っている。
だからこそ、利用者としては存続して欲しいし、なくなって欲しくない。となると、利用者の利益としては「金を払ってでも」存続して欲しいわけですよ。金で利便性が買えるなら買う。金で何とかなるならする。それだけ必要なサービスになっとるのですよ。少なくても俺にとっては。
携帯百景モバツイッターも現在は無料のサービス。しかしサーバー代はかかってるはず。維持コストがかかっている。それは誰が払っているかというと結局のところは運営しているご本人なわけで、利用者が払ってない分を、運営者が払っているという図式。
であるならば、薄く広くでお金をとってもいいし、アフィリエイトベタベタにして、そこで収益を確保してもいい。少なくても、運営している本人が、一番損するって状態は不健全だと思うわけですよ。みんなに便利なサービスを提供すればするほどお金がかかる。サーバーの維持・管理やら何やらでと。こういう状態っていうのは長続きしない。最低でもプラマイゼロ。あるいは運営者と利用者の出費が同じレベル。痛みを分かち合う形。そしてできれば運営者がちょいプラスが望ましい。続けていく方がトクだと思えるくらいの状態ができないと、良いサービスというのは長続きしにくい。運営者としての行為が報われるちょいプラの利益は、本来あって然るべきだと思うわけです。
現状の無料サービスって、結構善意で支えられてますよ。「自分がこういうのが欲しい。で、つくった。よろしかったら皆さんもどうぞ」というおすそ分けメソッド。ところが、善意で支えられているってのは一見いいことだし、美談に見えるけど、善意というのは時にすり減るんです。長続きするとは限らない不安定なものなので、安定して長くこのサービスを使いたいと願う人間にとっては、むしろ善意ベースではなく、商売ベースの方がありがたい場合もあるんです。「お金がかかるわ、文句は言われるわ、もうやってられん!」という展開になるリスクを抱えるよりは、黒字であるうちは続けるであろうという推測が成り立つ方が先読みできる分、わかりやすいのでありますよ。
良いサービス、便利なサービス、なくなって欲しくないからこそ、きっちりとお金をとって、存続して欲しいし、つくった人は利益を得て欲しい。善意をすり減らすことなく、その善意を他に振り向けて欲しいし、次の新たなサービスにつながれば、その方が我々のような利用者にとってはオイシイと思うんですけどね。サービスを提供する人間にオイシイ思いをしていただくことで、ますます世界には良いサービスがあふれると思うのですが、如何なもんでしょうかね。携帯百景モバツイッターも、月々ウン百円なら払ってでも使いたいのですが。どんなもんでしょうかねえ。