(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

良いサービスには良い対価を

日本のサービス業の限界ということを考えるに、すべては「チップ制がないこと」に行き着くような気がしてきております。「チップ文化がないこと」による悪影響と言いますかね。
日本においての「良いサービス」とは無償なのです。無料なのです。サービスの受益者が何の負担を求められることなく、メリットだけを享受する。
任天堂とかタイガー魔法瓶の「神対応」が時折話題になるのも、それが無償対応だからで、有償対応であれば話題にもならない。あれはタダだから凄いと思われているのであって、対価が発生しているのなら、さほど特別ではない。
しかしながら、本来対価のないサービスというのは存在しないはずのもので、相手が何かをしてくれる場合、相手は何かを消費している。それは時間であったり、人手であったり、経験や知見や費用や人脈など。それが無償で行われている場合、相手が一方的にそれを負担しているだけ。
サービス提供者によって「無償サービスの実施における費用負担」がされているから成り立っている。
しかしながらそれだと長続きしない。それはサービス提供者にのみ負担を強いるやり方で、それだといつかは善意がすり減るし、費用を持ち続けられなくなる。
その企業が黒字だから続けられるサービスは、赤字になれば続けられなくなるし、赤字のためにサービスが停止されれば、その受益者にとってはサービス低下となる。今まで凄く良くしてくれたのに、有償になった途端に余計に評価が下がるという現象すら起きる。
善意の提供とは対価の提供を伴うもので、故にサービス業が成立するはずなのだけれど、チップ文化がないことによって対価の提供が行われず、その為により良いサービスを受けられなかったり、継続されないリスクを負っている気がする。
人が自分に対して「特別に」何かをしてくれた場合に、何らかの対価を提供しないと、その「特別」な何かは受けられなくなるだろうし、また相手はそれをやってられなくなる。
ある一面では「チップもないのによくやるよ日本人」という話ではある。プラスアルファがないのに、プラスアルファを求められ、それを行ってしまう。しかしながらそれは無料文化として凄いのであって、有料文化との間には越えられない壁がある。海外での気が利くスタッフのサービスとの間に流れる大きな川。
その壁とか川の前提にチップがあるんですけどね。会社のマニュアル以上に良くしてくれるのは、会社の給料以外の収入(チップ)が期待されるからやるのであって、収入が変わらんなら余計な何かはしない。そしてまたチップを払うであろうお客様側に立って会社に対することもしないだろうし。
「心付け」という言葉があるというのに、何でチップ文化はないんだろうね。無料を期待し過ぎるから、かえって受けられるサービス水準は下がるというのに。
良いサービスには良い対価を。
っていうだけの話でした。