(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

タケルンバスタイル = 統計的裏づけ

どうも、ドラ表示牌のカンチャンでリーチをかける者です。

僕はタケルンバさんのようにドラ表示牌のカンチャンでリーチをかけることは99.9%やりません。そういうのをツモって勝つってのは、僕じゃない。僕にはそういう型は無い。

http://d.hatena.ne.jp/aroundthedistance/20090126/1232975978

私は普通ですね。平気でリーチかけます。ただ、ござ先輩の主張と食い違うわけじゃないんです。

人間多くのことは会得できないので、自分なりの勝利の方程式を築くことが大切だなと思いまなめはうす。

http://d.hatena.ne.jp/aroundthedistance/20090126/1232975978

勝利の方程式ってあるんですよ。型もあります。で、俺の場合、それは時に「ドラ表示牌のカンチャンでリーチをかける」なんです。一見、そういう無謀なことでもやります。ドラ単騎でもリーチかけます。「ドラ待ちだから上がりにくい」とか考えません。
何でかというと、これが俺の麻雀スタイルだから。で、俺のそのスタイルの拠り所はデータであり統計であり確率。もっとも確率的に有利な手を選択する。それだけなのです。適当に勝負してるわけじゃないんです。無謀に見える行動でも、実は裏づけがある。データに基づいて、毎回同じように行動しているだけなんです。
ドラ表示牌とかドラ待ちでリーチするのは、リーチした方が有利だからです。統計をとった結果、ある順目までに関しては、明らかに優位な結論が出た。リーチする・しないで得点・失点の双方に明確な結論が出た。なので、それに基づいて行動しております。ある順目までに関しては、待ちがどんなに悪くてもリーチ。それが俺の結論なのです。毎回そうするし、そうする以外の方法を俺は持ってないのです。
もちろんこの行動の結果、損することもあります。得だけじゃない。成功するとは限らない。ただ、それも含めてのデータなのです。統計なんです。確率論というのは、ある瞬間、瞬間をつまめば、当然に成功も失敗もあるんです。サイコロの目は6分の1の確率でいずれかが出ますが、10回しか振らなければ、どれかの数字に出目は偏るわけです。しかし100回、1,000回、10,000回と回数を増やせば結局本来の6分の1に収斂される。「大数の法則」ってヤツです。母数を増やせば、揺らぎはなくなるんですよ。で、揺らぎがなくなれば、確率的に高い手を選択した方が勝てるはずなんですよ。
麻雀はまさにそういう競技で、場面場面で行動を変えず、確率論的に優位であるとの結論が出ているなら、そのように行動すればいい。それだけのことなんですね。確率に基づいて行動する。それに感情を加えない。ある意味、機械のように行動する。俺の麻雀スタイルってこれ。ま、実は仕事でも何でも似てるけど。確率的に最善手をとる。失敗しても、それを受け入れる。動じない。動じずに、それでも確率の最も高い手を選択し、それを貫く。
なので、日常の努力とは、そのデータの収集と分析であり、最善手を見つける手立てを見つけることに尽きます。これは技術的なもの。あと精神的なものでは、どんなことがあっても揺らがない意思を持つこと。正確なデータを集め、集めたデータを、自分を信じること。これが俺のスタイルです。無謀に見えても、意外と裏づけがあるんだな。気分で行動してるわけじゃないんだなあ。

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おしえて!科学する麻雀

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麻雀のこのあたりの確率論に関しては、とつげき東北さんの著書が詳しいので、参考にどうぞ。