(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

「Yes」を言わせる質問術

GWが終わり、昨日は自宅にいたのですが、国会も再開するので、テレビで予算委員会の中継を見てたんですよ。作業しながら。で、民主党からの質問とかを聞いてたんですが、なんというか、昨日のはダメですね。いまいちです。どういうところがダメかというと、こういうところ。

「わたしたちが(選挙で)勝っていれば、こんなばかなことをやっていません」

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00154654.html

「解散に踏み切っていれば、どなたになるかは別として、新しい総理の下の政権で、私は本格的な対応ができたはずだと、今でも思っております」

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00154654.html

「私は今回の14兆円を超える補正予算案の中身を見ると、とても『ワイズスペンディング』、つまり賢い支出とはいえないものがたくさん入っていると思いますが」

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00154654.html

これ、どれも言われた側が「はい、そうですね」と言うわけがないんです。聞かれた側が「Yes」と答えようがない質問なわけです。自分の非を認めるわけがない。「No」しか答えようがない。事実上の「No」一択なのですね。他の選択肢がないわけですから。

「あなたはバカですね?」

こう聞かれたとき、宴会とかなら「はい、ばっかでーす!」と答える場面もあるかもしれんけど、社会的責任の問われる場面、また問われる立場の人であれば認めるわけがないですよね。責任があればあるほど、立場があればあるほど、無能であることを認めるわけにはいかない。
まして、公人中の公人である首相なら尚更。政府のトップが「俺、使えねえわ」となったら、「じゃあ辞めろよ」という話になるし、「じゃ、何で引き受けたんだ」という話になるし、「選んだヤツは誰よ」ということになって、周辺まで被害が出る。ある明確な結論が出た話ならば、まだ自分の非を認めなくてはならないケースがあるかもしれないけども、普通は認めない。認めるわけがない。
ということは、こういう単純な相手の非を認めさせる質問というのは、本質的に意味がないわけです。非を認めるわけがないから。「No」以外の返答しかありえないから。「Yes」を言わせたいわけですが、「Yes」と言うわけがない。

答える側がラク

しかも答える側はものすごくラク。ノープレッシャー。「バカですか?」と聞かれて「バカじゃありません」と答える。これだけで質問への回答義務を果たせるわけですから、何も攻められていない。

「見解を異にしているというだけ」

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00154654.html

麻生首相は昨日こう答えたわけですが、これでいいわけです。考え方が違う。これでフィニッシュ。何もやばいことを突かれていない。「ダメだ」と言われて「ダメじゃない」と答えて終了。政府の主張は何一つ潰されていないわけですね。せっかくの質問という野党からの攻撃チャンスをムダにしている。追求するチャンスをムダにしている。政府としてはラクな質問で良かったなーという感じですよね。「No」と主張すればいいだけのことですから。
なので、こうした質問は聞くだけムダなのですよ。

「No」を引き出しても意味がない

質問する場合に、「No」を引き出す質問ばかりしても意味がないんです。両者の立場が違うことだけが鮮明になるだけで、どちらの立場が正しいかは明らかにならない。立場Aの政府と、立場Bの野党がいる。AはAの政策が正しいと主張し、BはBの政策が正しいと主張する。この平行線が続くだけなのです。

  • A≠B

わかるのはこれだけ。本質的な意味がない。議論によって得られる成果がない。質問するだけムダなのですね。政府と野党が相容れないのは、議論する以前からわかっていることなわけで。一緒なら同じ政党に属するだろうし、連立組むべ。
で、これって一般的な生活でもそうなんです。ある争いがある場合、争点や対立点がある場合、質問をもって相手をう追及したり説得しようとする場合に、相手の「No」を引き出してもしょうがない。「映画を見に行きたい」という彼氏と、「ディズニーランドに行きたい」という彼女がいた場合に、「ディズニーランドなんてクソだから、映画にしようぜ」と彼氏が言っても、彼女がそれを認めるわけがないのですよ。だって、彼女はディズニーランドに行きたいから、行こうよと言うわけで。クソだと思ってないから、行こうよというわけで。「ディズニーランドに行きたい」という願望は「ディズニーランドはいいところ」という前提があるからですよね。

前提が崩れた場合、前提をもとにした主張も崩れる

まあ、こういうことは論理という大げさなものでもなく、当たり前の話でしてねえ。「ディズニーランド行きたい!」と言っている人が「ディズニーランドはいまいち」ということを認めてしまったら、「じゃあ、行かなくていいよね」になってしまう。
なので、いきなり前提を崩そうとしてもダメなんです。単刀直入に聞いても認めるわけがないんです。ディズニーランドに行きたがっている人が、ディズニーランドに魅力がないだなんて認めるわけがないじゃないですか。魅力的だから行きたいわけでしょ。行きたいところを否定するわけがないじゃないですか。
なわけで、前提の不備を突いても、確実に「No」なのです。日本の舵取りをする自負があるから首相をやっている。その人に「あなたの政策はダメです」「あなたはバカです」と言っても、「いいえ、そんなことありません」と返すに決まっている。であれば、そんな質問をせずに、実のある効果的な質問をしましょうと。時間を有効に使いましょうと。そう思うわけなんです。
具体的にはこういう質問をして欲しい。

「Yes」を簡単に言わせて追い詰める

相手から「Yes」を引き出す。「Yes」と認めざるを得ない質問を積み重ねる。その積み重ねの中で、相手の矛盾を引き出す。そういう質問がいいです。相手が悩むことなく「Yes」を答える。そういう質問でありながら、相手を不利にする一点に導ける質問。
例えば政策A・Bがある場合には、「Aがいい」という政府に対して「Bの方がいい」と言っても意味がない。それを認めるわけがない。そういう場合には、「何故Aにするのか」という背景や前提をまずは聞く。相手が否定しない情報から聞き出す。

  1. 「今の日本には景気対策が必要なのですね?」
  2. 「Aするのは景気対策のためですね?」
  3. 景気対策のためにAはベストの政策なのですね?」

こういう質問をした場合、景気対策のために政策を議論しているのであれば、質問1の答えは確実に「Yes」です。そして政府はその具体策として政策Aを実行に移そうとしているわけですから、質問2も「Yes」で来るでしょうし、質問3にも「もっといい方法があれば教えてくれ」という部分は残しつつも、現状では政府の方策がベストであるという点を譲るはずがありませんから、これも「Yes」と答えてくるはずです。「No」と答えてしまえば、むしろ政府の無能力が問われることになりかねませんからね。
しかし、ここで次の具体的な要素を手元に準備していれば、相手方の主張は崩れる。

景気対策が必要だから、政策Aをする意味がある。ということは、そもそも景気対策が必要でなければ、政策Aを実行する意味がない。

目的は景気対策、手段が政策A。その手段が目的に沿わないなら、実行する意味がない。

  • 景気対策のためにAよりも適した政策がある

目的を達成するために、よりベターな方法があるならば、それをとるべき。とらないのであれば、目的よりも手段が重要視されていることになる。
とまあこんな感じになるわけですね。もちろん手元に具体的なデータが必要で、そうした準備があっての話ですが、そういう準備さえあれば崩せるわけですよ。相手に殊更意図的に不利なことを言わせようとしなくても。当たり前のことを当たり前のように言わせるだけで、手元のデータ一発で崩れていく。
立場が違えば違うほど、そして自分の立場が強固であればあるほど、相手は自分の不備を認めたがらない。自分をちょっとでも否定する感じの質問には警戒するし、当然のように「No」を返してくる。であるからこそ、相手に簡単に「Yes」を言わせ、その質問の積み重ねによって相手の矛盾を引き出す手法の方がスマートなのです。相手も警戒しないしね。
そんなことを昨日の国会論戦で思ったのでした。「ばーか」って言ったら「おまえのほうがばーか」っていう子どものケンカになっちゃうんだぜ。

追記(2009/05/08 16:50)

準備をするという意味で、これは「質問術」というより「準備術」ではあるかも。質問は準備をすることで効果的になる。「Yes」と答えられた後の対応を想定し、そのための道具(データ)を揃えてこそ意味があるのです。

再追記(2009/05/08 18:11)

「答える側がラク」のくだりを付け加えました。質問する側にとっては聞いても返ってくる答えが決まりきっているという意味でムダだし、答える側にとっても、回答が一択なので考えずに済むというメリットがある。「No」を引き出す質問は往復でムダになるのよね。

再々追記(2009/05/08 18:40)

リクエストにお応えして。

ディズニーランドの件で、「YES」を引き出し、映画を観に行くための具体例を教えてほしかった……。

はてなブックマーク - kana-kana_ceoのブックマーク / 2009年5月8日

例えばこういう方法があります。

  • 「映画は好き?」

映画も好きという彼女の場合なら、映画も好きという「Yes」を引き出して、ディズニーランドと同じ土俵に上げ、そこから「この前、ディズニーランド行ったから、今度は映画の方が」とか、「ディズニーランドはまた今度行けるけど、この映画は今しか見れない」という主張につなげる方法があるかと。同じ好きなら、経験数の少ないものや、希少性の高い方にしようという主張ですね。
ただ、政治の話と違い、こういう話はかなり情緒的なもの。「俺は今、映画を見てえんだ!」と同じように、「私は今日、ディズニーランド行きたいのよ!」という主張もありえます。論理性の話というより、如何に情緒に訴えるかの勝負になるかと思いますね。「映画も好きでしょ?」「○○見たいと言ってたよね」「××って俳優が好きじゃん」という「Yes」の答えから、「この前、ディズニーランドは連れていったじゃん」「いつも言うこと聞いているじゃん」「たまには映画……ね、お願い」という話につなげて、「……ま、仕方ないなあ」という譲歩を如何に引き出すかの話になろうかと。相手の「譲ってもいいかな?」という気分にさせる「Yes」を引き出す質問ができるか。これがキーでしょうな。
ま、彼氏・彼女という関係性がそもそも情緒的なもんですから、あんまり論理に頼ると危ない気はしますがね。だって、お互いが好きになったことに論理性とか関係ないでしょう。なので、あんまりガチガチに論理攻めするのはお控えになった方がよろしいかと。最終的にはどっちかが妥協するしかないわけですしね。