(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

野党はできなくて当然

バカと言いたくなる気持ちはわかるなあ。

だって、野党に財源聞いても答えようがねえもの。しかも政権とったことがない野党が。
日本の場合、細かい予算内訳なんて政権与党しか知らんし。そしてそういうものとしてこれまで来たわけだし。官僚は与党にしかデータを出さない。野党には非協力。これで来たわけだから、野党が財源出せるわけねーのよ。「いけるはず」としか答えられん。手持ちに正確なデータがねえんだから。
他の話も同様。

野党は政治を良くできんの?

やったことがないんだから、わからん。
55年体制成立後、自民党が下野したのは細川・羽田政権時だけ。それ以外では自民党以外の政党が政権をとったことないんだから、「できんの?」と聞かれれば「わからない」と言うしかない。政権をとろうという当事者は「できる」と言い切るしかないだろうけども、客観的に見て、「できる」とは言い切れん。根拠がない。

野党に政権担当能力はあるの?

わからない。やったことがないからわからない。過去に経験がない以上、能力があるという証明はできない。もちろん当事者は「能力はある」というだろうけども、だからといって客観的な証拠でも何でもない。

野党に任せられるの?

もちろんわからない。だって、任せたことないんだもん。やってどうなるか試したこともないし。あてにならない。わからないとしか言いようがない。
ただね、同様にこういうことも言えるんよ。

与党は政治を良くできんの?

今の政治がダメだと思うなら、自民党だって政治を良くできない。良くなってると思うなら、「自民党は良くできる=今後もできる」と考えられるけども、現状が悪いと思うなら、「自民党は良くできない=今後もできない」と考えることもできる。だとすれば、良くできるかどうかわからん民主党とかと、大きな差はない。良くする可能性があるだけ、民主党の方がマシかもしれん。
現状をどう評価するかで変わる話。現状を否定するならば、否定する現状をつくった自民党に期待するってのはおかしいやね。良くできなかった連中に良くすることを期待するってのも妙な話で。
「今までダメでした。しかし、今後は大丈夫です。良くします!」
信用できます?

与党に政権担当能力はあるの?

これも同様。現状をどう評価するかにかかってる。良い現状であれば、良い日本をつくった与党ナイスって話になるし、悪い現状であれば、悪い日本をつくった与党ゴラアアアァということ。能力ナシと判定できるよね。

与党に任せられるの?

これだって一緒。結局は現状評価。良いと思えば任せればいいし、悪いと思えば任せないほうがいい。
つまり野党の中身を問うのもいいけども、それ以前に与党の現在を問うのが大事なのよね。だって、そこは検証可能なわけだから。「たられば」がいらない話だから。現実に政治を運営してきた連中がどうであったかを判定すりゃいいだけのこと。それをもとに、これまで通り任せるか、任せないかを決めればいい。あとは投票という行動で反映させるだけなのよ。選挙ってさ。
もちろん国の行く末なんで、実現性とか、変化に対する不安もあるわけで、それを加味して実際の投票行動になるわけだけども、日本の場合、これまでに選挙による政権交代の事例がないわけなんで、「野党に政治ができるか!」をあまりに考えすぎると、現状の政治に対する評価が意味がなくなっちゃう。ダメだとわかっているのに現状肯定みたいな現象が起きる。それって「頑迷」という名の保守だよね。変えたくないだけっしょ。
なので、細けえことはともかく、現状をどう思うか。変えるか・変えざるべきかでシンプルに投票行動を考えてもいいと思うんだなあ。与党にしか、自民党にしか政治ができないなんてのは妄想ですよ。自民党以外にもできる。それこそ、全国各地のそれまで政治経験がなかった首長とかが体現していることで。それを国政の場に広げるってだけでしょ。
……とか書くと「失敗したらどうすんだ!」「取り返しがつかない!」とかいう批判があると思うんだけど、失敗したら止められるのが民主主義のいいところで。ダメだったら変えりゃいいじゃん。このまま与党に任せて、失敗したら次のタイミングで変える。あるいは今、野党に任せて、失敗したら次のタイミングで変える。少なくても来年は参院選。変える方法はいろいろある。
あまりネガティブに考えないで、シンプルに選択するといいと思いますね。せっかくの選挙なんですから。