(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

事業仕分けの論点 Part2

どうもどうも、満員御礼。たくさんの皆さんに見ていただき、ありがたい限りであります。

反響の大きさに、「ああ、国民的関心事なんだなあ」と改めて気づかされました。

コメンツも多数いただき、毎度おなじみ「黒いぶくま欄」となっております。多謝。
で、今回はせっかくコメンツをたくさんいただいたので、そのコメンツで提示された論点について新たに項を設けて書いていきたいと。追記の形で付け加えてもいいのですが、結構な量になりそうなので。
ではどうぞ。

全事業について仕分けをしないのは?

そりゃまあ時間がないからでしょうねえ。次の通常国会ではいよいよ来年度予算の審議がはじまるわけですが、そこに間に合わせるのに時間が足りないからでしょう。

2010年度予算の概算要求に盛り込んだ国所管の約3000事業のうち、在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)の費用の一部や、診療報酬、地方交付税、義務教育費国庫負担金などで、対象は計447事業にのぼった。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091109-OYT1T00911.htm

事業リスト。

この447事業を仕分けする日程がこれ。

1.開催日
平成21年11月11日(水)、12日(木)、13日(金)、16日(月)、17日(火)<第1弾>
平成21年11月24日(火)、25日(水)、26日(木)、27日(金)<第2弾>

http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/wk-grp.html

9日間で447事業。
ということは、残り2,500余りの事業を全部見ようとすると、これの5倍の日程がかかる。45日間。ということは、到底年内に間に合わない。事業仕分けの結論を受けて、それを予算案に反映させるための時間とか、調整とかも必要なわけなので、現実的このくらいが手一杯なんじゃないですかね。
もちろんどうせ事業を個別にチェックするなら全部チェックすべきだし、そうした方がいいのは確かでしょうけど。ま、時間的な制約があるわけで、残念ではありますけどねえ。

財務省の主導では?

それはそうだと思います。財務省が事業選定にかなり関わったはずだし、それを主導したし、「削減しやすいものを選んだ」という側面は当然あるでしょうし、「財務省にとって都合の良い事業ばかりだ」という指摘も合ってるかもしれません。

こういう記事もあるくらい。
ただ、ここでもうひとつ考えなければならないのは、「じゃあ、財務省主導で都合が悪いの?」という点。「財務省主導はけしからん!」ならば、財務省の主導は困ってしまうわけですが、「財務省主導はウエルカム」であれば問題はないわけですよね。財務省主導であるかどうかの事実認定より、財務省主導の善悪という価値判定の方が大事なわけで。善悪の価値があってはじめて、財務省主導であるという事実が問題がどうか決まるわけでしょ。
で、政府の立場としては財務省主導の方が都合がいいわけです。何でかというと、今回の事業仕分け実施の目的が「ムダの発見」にあるから。「ムダを発見」して予算を浮かし、そのお金を他に回したいわけですよね。
そしてそれは財務省の主計局の立場に近い。今回の事業仕分けでも、まず担当部局から説明があり、それを受けて財務省の主計担当者から論点提示という流れになっているわけですが、主計局というのはとにかくムダを省きたい。お金を浮かせることが仕事なのですよ。

  • 「お菓子欲しいから、お金ちょうだい」「晩ご飯食べられなくなるでしょ! ダメ!」
  • 「お人形欲しいんだけど」「この前の誕生日に買ってあげたでしょ! 来年の誕生日まで待ちなさい!」
  • 「本欲しいんだけど」「この前買ってあげた本、読んでないじゃない! 読んでからにしなさい!」

のお母さん役なわけですね。
なので、ムダを省きたい政府の立場としては、同じ立場の財務省をフルに活用するのは至極当然。目的を同じくするわけで。

財務省主計局は10月中旬、財政健全化を目指して総額5・3兆円の候補リストを刷新会議に報告、事業別にランク付けするサービスまでしてみせた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091109/stt0911092101009-n1.htm

こうして省けそうな事業のリストまでつくってくれるわけで。政府目線では困ることなんて何もないでしょ。

刷新会議メンバーの片山善博鳥取県知事が会議のあり方について「財源を捻出(ねんしゅつ)するだけでは財務省の下請けだ。刷新にならない」と危惧(きぐ)していたが、懸念が現実になりそうな気配だ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091109/stt0911092101009-n1.htm

但し、こういう問題はあるけれどね。ムダは省ける。しかしそれだけでいいのかと。
とはいえ、「財源を捻出する」という目的達成には近づくわけだから、おkという判断なのかもね。

科学技術のための予算を削る前にもっと大きいところを削るべきでは?

一昨日の科学技術関連事業について、かなりの異論・反論・オブジェクションがあったかと思います。「もっと他に削るとこあんだろ」とか、「そこ削ってどうすんだよ」「日本オワタ」などなど。
まあでも、本当に必要な予算ならば、必要だと示して欲しいという気持ちはあります。

おふたりと似たような思いがありまして、ええ。どんな組織でも予算の分捕りあいとか、予算執行権を持つヤツから如何に金を引き出すかというせめぎ合いがあるわけで。本当にやりたいことなら、その有効性とかを示してくれよと。予算を増やすべき理由、維持すべき理由、削ってはいけない理由、廃止してはいけない理由。それを示してくれよと思うわけ。
で、あえて性善説に立ちますが*1、各事業をやりたいという担当省庁も、それをムダだと言う財務省も、お互いそれが国のためだと思ってやっているはずなんですよ。例えば科学技術関連事業であれば、その事業にお金を使うことが日本のためになると。文部科学省はそう思っているわけ。一方、財務省は、そこにお金を使うことが日本のためにならないと思っている。「お金くれ」「やらん」と求めるものは正反対だけど、根っこは一緒なわけで。日本のため。それが国益だとお互いに思っている。
政府だって、民主党だって、そして仕分け人だってそうなわけよね。日本のために事業仕分けに参加してる。議論に参加し、その事業をどうすべきかに答えを出す。その答えが日本のためになると思ってる。みんな思いは一緒。
であるならば、大事な事業ほど「必要だ!」と言ってもらわないと困るし、聞く人を納得させて欲しいのよ。「ああ、それにはお金を出さなきゃね」と思わせて欲しい。今、政府はマニフェストにあった政策を実行するために、予算を浮かせようとしているわけなんだから、そのやろうとしている政策よりも、この事業の方が有効ですと示せばいい。それを示せなければ優先順位として後回しになるのは自明の理でしょ。
会社だって家庭だって、「このお金は必要なんだ」と振り向かせないと、その事業は実現しないわけで。会社なら上司、役員。家庭だと配偶者。そして国の場合、まずは仕分け人という状況になっているんだから、まずはそこを是非ともクリアして欲しいし、その事業が本当に国のためになると思っているのなら、そのためのベストを尽くして欲しいなと。

民主党のパフォーマンスでは?

そりゃそうでしょうね。民主党は「我々の政府はこれだけ良いことやってます!」と言いたいだろうし、「これまでの政府はこんなにデタラメでした!」と言いたいでしょう。
でも、そういうものじゃないですかね。まあ、パフォーマンスの結果、ろくでもないことになったら困るわけですが、少なくてもムダがあることは判明しているわけだし、しつこく書いてますが、「やらないよりはマシ」である以上、いいんじゃないですかね。そのくらいの功をアピールさせてもよろしいんじゃないかと。成果が上がっているという見方も当然できるわけですし。

民主党の政策がスルーされているのは?

当然でしょう。だって考えても見てください。自らが主張する政策が間違いでした、となるリスクを犯すと思います? 各事業の担当省庁は、その事業をすることが日本のためだと思っているし、その事業を削ろうとしている財務省は、それが日本のためだと思っている。同様に民主党だって、選挙の時にマニフェストでうたった政策を実行することが日本のためだと思っているわけで。実際のところはともかく、そこが前提でしょ。「これをやれば日本は良くなる!」と言ってきた彼らが、その主張を簡単に曲げるわけがない。

話としてはこの2件の構図と一緒。自らの不備を認めるわけがないし、自らの正しさを主張するに決まっている話。
オリンピックでは各開催地が「うちが一番!」という。他の候補地より劣っていることなど認めるわけがない。リオデジャネイロが不正を認めるわけがないし、当事者が自らを良く評価するのは当たり前。
羽田空港ハブ化の話では、千葉県は「成田!」と言うし、東京都は「羽田!」と言うし、大阪府は「関空は?」と言う。それぞれが代表している利益があるから、当たり前。
業務仕分けもそうなんですよ。みんなプレイヤーなんです。代表する立場の違うプレイヤー。省庁で言えば、自らの所管する分野を通して日本を良くしたい。文部科学省は教育行政や科学行政を通して。農林水産省の場合は農水事業を通じて。そして財務省は予算の査定、編成を通して日本を良くする。同時に民主党も自らの政策を実行することで、日本を良くしたいわけですよ。で、その手段が間違っているだなんて認めるわけがない。それは自己否定になってしまうから。
これは自民党だってそうで、だから自己改革は難しい。自らがやってきたことが悪いとは認めないものなんですよ。自己否定はしない。
だからこそ政権交代の意義があるわけなんです。自民党では自民党政権の悪いところを変えられない。自民党政権の悪いところを変えられるのは、自民党以外の第三者しかいない。で、今は正にその段階で、自民党政権の悪い部分を洗い出している。
しかし民主党政権の悪いところもまた、民主党自身が変えられないんです。自民党が自らの悪い部分を直せなかったように、民主党もまた直せない。民主党政権の悪いところを変えるのは、民主党以外なんですよ。自己改革はできない。仮にできたとしても不十分だし、自らが行うより、他者が行ったほうが効率的。自己に向ける刃は鈍るもの。
なので、またいつの日か日本に政権交代は必要なんですよ。今、自民党政権の膿を出しているように、民主党政権の膿を出すときがきっとやってくる。膿がたまる速度に違いがあれど、どこかの段階で膿は満杯になり、民主党を政権の座から下ろすときがやってくる。そして代わりの政権が誕生し、それまでの政治を点検し、悪いところを洗い出す。
自分はこの繰り返しで、少しずつではあっても日本の政治が良くなるんじゃないかと希望を持っています。そして現在はその端緒ではないかと。楽観が過ぎるかもしれませんが、今、やっと改善サイクルに乗ったばかりじゃないかと。細かいところに不満があるのはわかるし、問題山積だし、口を出したくなるけども、しかしそれでも「やらないよりはマシ」と。
こんな風に自分は見ております。皆さんはどうお考えでしょうか。ではまた。

*1:このあたりを性悪説で考えるとキリがない。