(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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「ねじれ」を使うのはやめよう

今朝のTBSテレビ「時事放談」。なかなかいいこと言ってたなあ。ゲストは民主党最高顧問の藤井裕久氏と、コロムビア大学教授のジェラルド・カーティス氏。味わい深い発言が多かった。

「ねじれ」は悪くない

「ねじれ」って言葉がそもそもおかしいと。使うべきでないと。何故なら「ねじれ」ということは、それが悪いという意味で使われている。元に戻ることが前提で、元の状態が当たり前であるということだと。
非常に納得。現在言われている「ねじれ」は別に悪いことじゃない。選挙の結果、衆議院参議院の多数党が違うというだけ。ただちにそれが悪いとは言えない。むしろその方が国会に緊張感が出て、メリットすらありうるのではないか。
それに「ねじれ」が都合悪いのは自民党だけなんだよね。自民党だけで物事を決められなくなるってわけで。国民にとって「ねじれ」が悪いとは到底言えない。そこに「ねじれ」という言葉の問題点がある。アメリカには「分割政府(Divided Goverment)」という状況がある。大統領と議会の多数党が違うことはよくあるし、上院下院の多数党が違うこともありえる。でも政治が行き詰るとは限らない。それは「ねじれ」が悪いことでもなんでもなくて。それは民意の結果なんだと。現実なんだと。その現実の中でベターな施策を実行する。それが政治の役割だという認識があるからなんだよね。
日銀総裁の問題でも、民主党がのまないから決まらない。だから「民主党が悪い」「ねじれはダメだ」って議論があるけどそうじゃない。参議院では連立与党が過半数を割っている以上、参議院で通る人材を候補にしなくちゃいけない。あるいは野党が妥協しうる他の条件を出さなくてはならない。またどうしてもこの候補が正しい。この候補じゃないとダメだという人がいるんなら、早めにその候補案を出して、その候補が何故正しいかを国民に説明しなくてはいけない。参議院は野党が過半数を握っている現実を受け入れて、その環境でのベストを模索しなきゃいけないんですよ。
政権が出した人事案が通らないからって「ねじれが悪い」は単なる現状否定で、駄々っ子の言い訳。まして「困ってます」なんて言っちゃう我らが福田大首相の凄さね。あらかじめダメと言われることがわかっている案を出して、それを予想通り拒否されて「困ってます」。

親「○○しちゃダメだぞ!」
  ↓
子「大丈夫だよ、やっちゃおうよ」
  ↓
親「ゴラァァッッ!」
  ↓
子「困ってます」

こういうことだよね。そりゃ怒られるだろうよ。「ダメだよ」って前々から言われているんだからさ。
両議院の多数党が違うという前提で物事を進めてもらわないと困るのですよ。そういう現実を踏まえて、実現可能なことをやってもらわんと困る。実際、白川副総裁にはゴーを出しているんだから。そういう知恵を出してもらわんとねえ。政治は「白か黒か」とか「Yes or No」じゃないでしょうよ。現実を受け入れた上での、よりベターな決定であるし、最大多数の最大幸福の実現でしょうよ。できないからってダメだじゃなくて、できる範囲内でやれよと。そう思ってなりませんな。

今の政治主導は政治家の官僚化

これ、最近の政治主導という流れについてジェラルド・カーチス氏が言ってたんだけど、今やっていることは、政治家の官僚化であると。政治主導ってそういうことじゃねえだろうと。
そうなんだよねえ。役割が違うんだよねえ。政治家の仕事ってのは、選挙を受けて選ばれた代表者としての政策決定であって、細かな点を煮詰めたりすることじゃない。法案をジグジグ詰めたりするのが仕事じゃなくて、法案の方向性とかを決める仕事なんだよね。細かいところをジグジグ詰めるのは官僚の役割。政治家は官僚のやることをマネする意味がないんだよね。
もっと大局的に進む方向性とかを指示し、決定するのが政治主導。船で言えば船長の役割。船長として船員に指示を出す。そして細かな現場の作業が船員の仕事であり官僚の仕事。こういう違いがあるはず。それを船長自ら舵を握ってもしょうがないんだよね。船長は「面舵いっぱーい」を指示する人であって、舵を実際にまわす人じゃない。そこを履き違えているような気がするんだよなあ。ちょっとずれてる。
こういう意見に対して「いや、官僚は仕事してないんですよ。官僚がダメだから我々がやるんです」って偉そうに言う自民党のバカタレがいるんだけども、もしそういう事実があるのなら、自民党は政権党である資格がないんだよね。だって、そういう官僚世界にしたのは自民党なんだもの。ダメな官僚でいい日本にしたのは彼らだもの。今の状況をつくった人に「今の状況は悪いんです」と言われても困るんだよな。「お前らが悪くしたんだろ」と。
なので、こういうことは官僚のせいにしちゃいかんのよ。あくまでそれを見逃してきた政権のせい。ダメな船員を見逃してきた船長のせい。そういう船内の問題を解決するために、指導力を発揮するのがより良き船長。船長はあくまで船長でなくてはいけない。船長が船員になって、だれが船長の仕事をするのかってことに思いをめぐらして欲しいよね。
いずれにしても福田大先生には期待できそうにもないが。フッフッフ。