(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

滅びゆく店

近所のコンビニがこの週末で営業を終了する。そのため、店内の商品を割引でさばいていたのだけど、その哀愁感がもうね。棚の隙間が増えるたび、空の棚ができるたび、割引率が上がっていくたびに哀愁感がががががが。店内に商品がほとんどないコンビニって悲しい。店に入るのをためらわれる。店員と会話しづらいし。近所だけにもうね。

開店のときの戦略

ただ、おかげで「なるほどな」と思ったのは、開店時とかに店内をとにかく商品で埋め尽くすというのは、「棚が空いていると哀愁」の逆なわけだから、戦略として正しいのねと。「にぎやかし」だろうがなんだろうが、とりあえず棚を埋めとくというのは、空いている棚を見た時の感情を考えると、とても正しい気がする。
やはり勢いとか華やかさとか、そういうポジティブな印象を持たせるには、過剰であっても大量の商品で店内を埋め尽くした方がいい。空きがない、隙間がない状態が営業的にいいんだろうねと。「見られる」ものに関して、そういう印象操作は大事な気がする。

死との連想

あと、この滅びゆく店の過程を見て思ったのは、「死ってこういうことなんだろうな」と。
店内の商品が減る一方。
在庫がなくなってゆく。
新たな補充がされる予定がない。
閉店予定の店の場合、概ねこんな感じなわけだけども、これって「死」なんだよなと。いくら商品が売れても、その先に補充される予定があれば、それは「生」。しかし現状でいくら商品を抱えていようが、その先に補充される予定がないのであれば、それは実は「死」なんだと。減っていく一方で、増える見込みがないもの。それは現状がどうであろうと、結局は死と同じなんだねと。そんなことを思ってしまったわけなんですね。
「流れの有無」ということでもあるのかな。その先があるかどうか。継続に向かっているのか、終わりに向かっているのか。それが生死の境目なんだろうな。意味としての生死。
そんなことをあるコンビニの閉店に関して考えたのでした。