(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

日本の効率化は単なるケチ

日本って「柔よく剛を制す」の精神が強すぎると思うんだ。

過度の柔道精神というかね。この記事を読んでそんなことをつらつらと。
「柔よく剛を制す」ってのはさ、日本の美意識としては大変に素晴らしいし、自分も日本人としてその美意識を多少なりとも持っているわけだけども、そもそも論として弱者の発想なんだよね。「剛」になれなかった者としての。弱者の戦術という面があるわけじゃん。
一番いいのは「技に秀でた剛の者」なわけでね。力がなければ技で行け。技がなければ力。その両者があれば最強。言う事ないわけでしょ。
それを如実に示す競技がバレーボール。「東洋の魔女」とか言われて、コンビバレーで一世を風靡したけど、最近では世界のトップからはだいぶ距離を置かれているでしょ。コンビバレーってのは身長に劣る日本ならではの「売り」だったわけだけども、それを日本より背の高い人達にやられたら厳しい。身長差を埋めるための技なわけで。
逆に言うと、強者の戦術が日本にないのかな。「圧倒的に勝つ」マインド不足というか。日本で尊ばれるのは奇襲・奇策・用兵の妙による「小が大を制す」ケースばかり。源義経とか、「桶狭間の戦い」とか、日本海海戦とか。まあ胸がすくし、わくわくするけども、現実はそうそううまくいかないわけで。うまくいかないからこそ、うまくいったレアケースが語り継がれるわけでしょう。
現実は「大が小を制す」戦いばかりで、戦力差が結果に現れる。そして戦力差が大きければ大きいほど、戦力の損耗は少なく抑えられるもんだし。戦力があればあるほど有利であり、戦力差が大きいことによって争いを起こさないことにもつながるし、争いがあったとしても被害を最小限に抑えられる。
ところが、今もなお経営での実際は「ギリギリ戦力での運営」なのよね。「3人でいける」となったらキッチリ3人。最低見積りラインで、そのままGO。日本で言う効率化って、「積算上の最低人員にどこまで近づけるか」がメインで、それ以外の効用に関してはほとんど顧みない。
現実には多めの人員配置によって、余裕が生まれたり、前倒し効果とか、精神的安定とか、損耗回避とか。実は様々なメリットがある。本来はそういう様々なメリットを合わせて「効率化」という概念を考えるものだけれども、日本の場合は「ギリギリでいけるかどうか」が効率化であるので、あえてギリギリを回避することで、他のメリットを取りに行き、増員によるデメリットと比較してOKなら効率化であるという発想がない。
端的に言えば日本の「効率化」ってのは貧乏人の発想。弱者の戦術で、ケチの産物とも言える。ま、ケチにはケチの良さがあって、メリットはもちろんあるわけだけれども、それだけじゃ強者にはなれないよね。

こういう活動なんかもさ、「ムダにしない」という日本的な美意識の慈善活動で、まあ悪いことではないんだけども、根っこは一緒。「キャップですらも捨てない」という「あるものは全部使う」という日本的な効率化の産物。実際はキャップなんか集めない方が効率的なんだけどね。あれってさ、キャップを集めて、集めただけだとあれだから、洗って干して、乾かして。で、また集めてと、実は結構労力がかかる。
極端に言えば、エコキャップ活動に関する企業内の時間に900円とかをかけて、その額を募金した方がよっぽどマシなんだけど、日本の場合は「あるものは全部使う」という効率化なので、なかなかそういう話にならない。
「ケチ」と「効率化」を如何に分離するか。そしてギリギリをやめること。余裕資源のない環境に長らくあった日本ならではの課題であり、問題だと思うんだけどね。余裕おいしいです。