(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

地上波中継がない野球なんて

ロッチが日本一ですか、そうですか。

絶賛崩壊中の横浜ベイスターズファンとして心よりお慶び申し上げます。
組み合わせが地味だとか、早慶戦より視聴率がとれねえだとか、まあいろいろ言われましたが、試合の内容自体はとてもおもしろく、シーズンの締めくくりとしてはふさわしい試合が続いたのではないかと。
しかしまあこれはないよね。

プロ野球の頂上決戦は、放映権料に見合う効果が得られないとしてテレビ局との交渉が折り合わず、全7試合中3試合(1、2、5戦)が地上波で全国中継されない異例の事態となった。

http://www.daily.co.jp/baseball/2010/10/27/0003561337.shtml

別にコアな野球好きならどうでもいいと思うんだ。BSとかCSとかで見るだろうし。そういうチャンネルに加入しているだろうし。本当に野球が好きな人なら、地上波でやっていなくても構わないはず。
問題はだ。

「本当に野球が好きな人」は今後どうやってつくるの?

ここだ。今後のこと。今、野球が好きな人についてのことではなく、これから野球を好きになるはずの人について。BSとかCSにわざわざ加入してまで野球を見ようとする人を、今後はどうやってつくるのか。
自分が子どもの頃、1980年代は、夜7時といえば野球中継だった。インターネットがなく、海外からのスポーツ中継も一般的ではなく、Jリーグもまだない時代において、野球こそが最大の娯楽であった。
既に「一家に一台」テレビはあまねく普及していたけども、テレビが二台以上ある家庭はまだまだ稀。父親がチャンネルを野球中継に合わせたが最後、野球中継が終了するまでチャンネルは不動。今と違って「自分の部屋で、バラエティ番組を見る」というのは贅沢な話だったように記憶している。自分の部屋があるというレベルからもそうだし、その自分の部屋に自分専用のテレビがあるなんて!
そういう環境に育つと、否応なしに「野球がある生活」が当たり前になる。野球を見るのが当たり前になる。なにしろ見るきっかけは腐るほどあるわけで、見ない方が難しい。
現在の野球ファンの多くは、そういう環境の中から、野球に対する関心を高めたのではないか? 子どもの頃の環境が、野球に対する好奇心のきっかけになったのではないか? 「夜7時は野球中継」という日常が野球ファンをつくる一助になったのではないか?

現在は「野球のない生活」が当たり前

ところがところが、最近はテレビの野球中継そのものがない。地上波で放送がない日は珍しくない。
テレビも「一家に一台」から「一人に一台」の傾向が強くなってきている。親が見ているものを、子も見ざるをえないかのような、強制的な視聴環境はもはやない。
またテレビ以外の娯楽も充実している。インターネットがあれば、プレステもニンテンドーDSもある。Twitterで友達とやりとりできるし、Skypeでチャットをしたり、通話もできる。
「野球しかない」時代から、「野球以外がある」時代になったわけだ。選択肢が豊富にある。野球はあらゆるコンテンツの中のひとつにしか過ぎない。娯楽は野球に限らない。野球である必要はない。
……この環境の中で、どうすれば野球ファンをつくれるというのだろう。どうすれば野球に興味を持ってもらえるだろう。野球以外に興味を持つ環境が豊富にあって、相対的に野球が埋没するこの現代において、これまでのようなコンテンツ力を維持するためにはどうすればいいんだろう。
そういう視点で考えると、現在の野球界と、それを取り巻く環境ってのは、これからのファンをつくる努力に欠けるとしか思えないんだよなあ。プロ野球界で最高の戦いである日本シリーズを地上波で見せない。最も多くの視聴者を集めることができる媒体で流さない。このことの将来に渡る逸失利益の大きさに対する理解が足りないんじゃないかなあと。
まだまだテレビの地上波の力は偉大。なんだかんだでみんなテレビを見ている。そういう存在であるテレビで中継を流すことにより、どれだけの宣伝になるか。放映権料という果実が欲しいのはわかるけども、放映権料よりも大きな果実が放映することによって生まれるんだけどな。
放映権料の減少という痛みがあるのはわかるけど、この痛みを歯を食いしばって耐えるときだと思う。今、耐えなければ、より厳しい痛みが将来的に待っているはずだから。