不便さがいいもの
iPhoneを使っている。すこぶる快適。
特にいいなあと思ったのがカメラ。技術がいらない。ピントをあてたいとこにタッチ。これだけで満足いくものがとれる。光が足りない、暗いとかの不満もない。ちゃんときれいに撮れる。
私みたいな「写真は撮りたいが、知識とか技術はない」という人間にとってみれば朗報。
となると立つ瀬がないのがコンデジ。iPhoneほどお手軽じゃないし、iPhoneを凌駕するほどきれいな写真が撮れるわけでもない。半端。実に中途半端。従来、CanonのPowerShotを使ってきたのだが、あえなく失業。さようなら、Canon。
実際に手間も減った。今まではコンデジで写真を撮り、家に帰ってSDカードを抜いて、PCに読み込んで、それからうpしてと。面倒があった。
iPhoneだとそれがない。撮ったら即うp。SDカードをあれこれする手間がない。PCを経由する必要もない。こりゃ楽だ。
あとは単純に荷物が減る。iPhoneは携帯電話だから常に携帯するとして、カメラはあんまりそういうものじゃあない。カメラのために電池もいる。ちょっとした旅となると「マガジンか」「AK47か」とばかりに弾薬よろしく電池を持ち歩いていたわけだが、これからも解放された。
iPhoneによって、Appleによって駆逐されるってこういうことなんだなあ。iPhoneとそれ以外の商品が両立しない。俺の場合、少なくてもコンデジが必要なくなった。ウォークマンとかの携帯オーディオプレーヤーとか、暇つぶし用の携帯ゲーム機も似たような位置付けなのかな。
となると今後は、機能をアピールしてはダメで、価値観とか世界観が売りにできないとつらいのかな。「かさばらない」「軽い」だとダメ。それだとiPhoneに集約されてしまう。かさばっても使いたい。重くても持ち歩きたい。そういうもの。
カメラにおける一眼とか。あれはゴツいからいい。「カメラ使ってます!」という気分になる。存在感がいい。
なんでも大袈裟に作るといい。Appleが隙間産業を埋めてくるなら、とことん隙間を深くする。
「便利でいいもの」ではなく「不便さがいいもの」が今後のキーワードじゃないか。ぼんやりと思ったのでした。
PCも最後はデスクトップ大勝利になったりしてな。